国や政治について語ろう②
最近は、「政治家追っかけタレント」としても認知されつつある春香クリスティーンさんですが、スイスから日本の高校に編入したときに、日本では政治を話す友だちがいなくて、ビックリしたと言っていました。
海外では高校の授業でも政治の議論を行うことがあり、友だち同士でも自然に話題に上がるようです。
海外では教育がしっかりしているからと思いがちですが、「花火大会に行く?」といったノリで、政治的なイベントやデモに参加したり、自分が好きな政党のポスターを自分の家の窓に張ったり、政治が生活の一部として溶け込んでいることが、本当の日本との違いと思われます。
日本では、どうして海外のように政治に参加したり、語ったりすることができないのでしょうか。
日本では同調圧力があるのが、原因だと言われています。
政治のことを語ると、意見の衝突を起こして人間関係に影響するから、人付き合いを円滑にするために、当たり障りのないオモシロい話や流行だけ話題にあげるようにしている。
国や政治のことを話したいと思っている人も少しはいるはずなのに、国や政治を語ることがタブーのような空気を読んで、自ら口を閉じることが多いのではないかと言われています。
海外は個人主義で、日本は集団主義だから政治を語らなくなったと考えればよいでしょうか。
最近、興味深い記事がありました。
日本、アメリカ、イギリスを比較した場合、日本が一番同調圧力が弱かったという実験結果です。
先生方の結果に異論はありませんが、個人的には額面通りに受け取れないとは思います。
恐らく、実験結果のとおり、日本人は同調圧力に屈することなく、アメリカやイギリスと同じように(もしくは、それよりも強く)、自分の意見を持っているはずなのですが、人と仲良くするために、自分の意見を抑えている可能性があると言えます(未確認ですが、実験は知らない人同士だと思われます)。
仲のよい人が間違ったことをしていても、あえて目をつむることはないでしょうか。
わざわざ政治や宗教の話はタブーだと、自分にも周りにも言い聞かせ、自分の意見を殺し、コミュニケーションを円滑にしているのではないでしょうか。
日本でも、深く話すと興味深い意見を持っている人がいたり、ブログで自分の意見を書いている人もいます。
国や政治のことを語らない理由として、確かに同調圧力はあるものの、実験結果のとおり、自分の意見は持っていて、意見を言える場さえ、用意すれば、考え抜いた意見を語ることができるはずなのです。
農耕民族で集団主義だから、自分の意見を言わないと思われてきましたが、明治維新では維新志士たちが新たな世を熱く語り、学生闘争では大学生たちが授業をサボってでも、日米安保に反対の声を上げていました。
歴史を見ても、日本人は自分の意見を抑えて言わない民族ではないことが判ると思います。
もちろん、同調圧力も自分の意見を言わなくなった一因ではあると思うのですが、主な原因は別にあると思います。
本当の原因は何なのでしょうか?
こんなことを言うと、嫌に思う人もいると思いますが……
誰も言わないので、あえて言おうと思います。
――日本人が政治について語らないのは、みんなが政治に興味がないから!
これについては、日本人として言い訳もあるため、次回に詳しく書こうと思います。