何でも言ってやろう

国や政治についてタブーなしに語っています。誰も見なくても、炎上しようとも。

国や政治について語ろう④

国会議事堂

※写真はイメージです

前回から引き続いて、なぜ日本人は国や政治に興味を持たなくなってしまったのかを考えたいと思います。

 

それでは、日本の近代史を振り返りながら考察したいと思います。

 

第二次世界大戦の末期、日本は軍国主義に一色に染まり、教師は戦時教育を行い、町内会・村の集会といった生活に近い場でも、子供から老人まで、天皇を中心とした国と政治のことを賛美していました。
現代とは違い、多くの日本人が国や政治に興味を持っていましたが、軍国主義という思想に偏ったものでした。
政府や軍は、ラジオや新聞を検閲し、プロパガンダを発信していました。

 

第二次世界大戦後、連合国軍が日本を占領すると、GHQによってこの価値観が大転換されました。
二度と日本がアメリカや東アジアにとって脅威にならないようにするために、「非軍事化」と「民主化」を占領政策の目標として掲げ、日本社会を改造しました。

 

GHQのその政策により、日本は「平和」、「自由」、「平等」を手にし、戦後の荒廃から復興したと思われていますが、内実は異なっており、日本の弱体化が目的でした。
その最たる例が愚民化政策だと思われます。
戦争中、日本人は死を恐れず、アメリカ兵と戦ったと言われています。
日本人の強靭な精神力に恐れをなしたアメリカは、GHQが中心となり、秘密裏に愚民化政策を行ったと言われています。

 

それが「3S政策」であり、「Screen(映画やテレビ)」、「Sport(スポーツ)」、「Sex(性産業)」の頭文字を取って付けたそうです。

 

ja.wikipedia.org

 

この政策の陰には、読売新聞の経営者であった正力松太郎が関わっていたとされています。

戦前、正力は倒産寸前の読売新聞を日本一にし、日本にベースボールを定着させた興行師として活躍していました。
戦後、正力はA級戦犯としてGHQに逮捕されますが、スパイ活動を行うことを条件に許されたと言われています。
その後、正力は日本放送を創設し、NHKよりも早くテレビ放送を開始しました。
正力が創設した読売ジャイアンツは、国民的スターを数多く輩出し、ナイターがある日は、人々はテレビにくぎ付けになり、読売新聞のスポーツ欄に載る野球の結果を楽しみにするようになり、
野球は、国技である相撲を超えた国民的なスポーツとなりました。

 

東京都知事猪瀬直樹さんは、日本はアメリカに守られたディズニーランド」なのだと言っていました。

 

 

言い得て妙とはこのことだと思います。

欧米では聖なるクリスマスは、伝統的に家族で過ごすのが一般的ですが、日本では男女で美味しい食事をして、ホテルでエッチする日となっています。
ディズニーランドが始めたハロウィンイベントを、いまや渋谷に留まらず、日本の一大イベントとして、全国の小学生や幼稚園児が仮装して楽しむようになりました。
自国の新嘗祭明治節紀元節などのイベントを捨て、クリスマスやハロウィンのイベントを取り入れました。
欧米に憧れを抱き、ラーメンやカレーライスのように、誤った形で文化を取り込んでいきました。

 

3S政策に洗脳された日本人は、戦後70年を迎えましたが、いまだにアメリカが作った夢の国の中にいます。

 

また、日本人がこのような弱体化政策をもろ手を広げて受け入れた理由としては、戦後の日本人の哀しい精神状態もあると思います。

歴史上、初めて敗戦を経験した日本人は、欧米に逆らったことを「一億総ざんげ」で反省し、GHQ天皇の代わりに崇拝したと言えるのではないでしょうか。

 

きっかけは「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」です。

 

ja.wikipedia.org

 

GHQは、連合国にとって都合のいい解釈で戦争を振り返る新聞記事を10日間掲載し、2か月間、ラジオを放送し、その後、聴取者からの質問に答える番組を9か月放送しました。
このプロパガンダにより、戦争が悪かったものと思わせ、日本人に反省を促すことに成功しました。
個人的には、保守派が言うほど、このプロパガンダはすぐには効果がなかったと思いますが、日本人に欧米に対する土下座根性を植え付けるきっかけになったと思います。
メディアや言論は、この当時のプロパガンダを踏襲するようになり、「戦争を忘れないように」という枕詞を使って、現代でもこの内容をコピーして繰り返して発信しています。

 

日本人の土下座根性を表した象徴的な事例としては、日本占領軍総指揮官として日本にやってきたダグラス・マッカーサー将軍に宛てた手紙でしょう。
日本人はマッカーサー将軍にたくさんの手紙を送り、マッカーサー将軍への絶対服従を誓ったり、「あなたの子どもを産みたい」などと書いたラブレターを送ったと言われています。

 

また、戦後の日本人の精神性を表すには、虚無感があると思います。

 

戦後、日本では、教科書を黒塗りしたと言われていますが、その暗喩が表すように、過去の歴史をすべて臭いものとしてフタをして閉じてしまいました。
戦前にもいいところもあったはずですが、すべてを一緒くたに悪いものとして封印してしまいました。
戦後は、虚無感に抗うことができず、自殺やヒロポン中毒が流行し、無為のまま働かない人もいたそうです。

 

この何とも言えない虚無感は、戦後派作家と言われた三島由紀夫さんの金閣寺に象徴的に描かれています。
戦後派作家の多くは、戦後の虚無感やキモチワルサとの葛藤の中で生まれたように思います。

 

www.nhk.or.jp

 

また、戦後から70年以上が経過し、勉強家の孫(場合によってはひ孫)の世代は、祖父母に戦中のことを教えてもらいたいと思っていた人もいますが、語らない人が多かったと言います。
今では多くの日本人が「終戦によって社会が劇的に転換して、新しい素晴らしい時代が始まった」と考えています。
天皇」も、「軍事」も、「愛国心」も、「アイデンティティ」も、「欧米批判」も、「歴史の修正」も語れない空気ができてしまったのです。
国や政治のことを語ろうとしても、日本人は片手落ちの言葉でしか語れなくなりました。

 

――戦中は軍国主義に洗脳されていた?
――前後は資本主義に洗脳されているのではないでしょうか?

 

私は、国や政治について語ることができないと書きましたが、これは間違っています。

謝罪いたします。

申し訳ございません(……謝罪の多いブログですね)。

 

日本では、アメリカから強制された「平和」、「自由」、「平等」だけはいくらでも、賛美して語ることができます。
アメリカは「平和」、「自由」、「平等」の大義の元で、イラク大量破壊兵器保有しているとウソをつき、戦争を始め、フセインを処刑し、アフガニスタンアルカイダをかくまったとして侵攻し、政権を崩壊させました。
日本人は悪い面には目をつむり、アメリカの戦争に称賛し、宗教のように「平和」、「自由」、「平等」を妄信しています。

 

長くなりましたので、まとめです。

 

前後はアメリカ資本主義に洗脳されることによって、自分の頭で国や政治のことを考えることができなくなり、「平和」、「自由」、「平等」という片手落ちの言葉でしか、国や政治のことを語ることができなくなったと思います。
戦後70年以上が経過しますが、いつまで占領下のつもりなのでしょうか?

 

――日本人として自ら考えて、自ら語りませんか?

 

それでは、また次回!

 

<追伸>
私は片手落ちは差別用語ではないという考えです。