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国や政治についてタブーなしに語っています。誰も見なくても、炎上しようとも。

ChatGPTとは何か?④

デジタル

※写真はイメージです

汎用人工知能「ChatGPT」について、3回に渡り語ってきましたが、蛇足となりますが、もう1つ語らせてください。
今回も、専門家の参考意見やエビデンスはなく、ひろゆき氏に「それってあなたの感想ですよね」と論破される内容ではありますが、私としては重要な内容ではないかと思われます。
競馬の予想屋レベルの未来予想かもしれませんが、私としては、これから述べるような世界に変革される可能性は高いのではないかと思っています。

 

ChatGPT等のAIによるシンギュラリティの到来

これまでの3回に渡るブログの通り、汎用人工知能「ChatGPT」により、近い将来、プレシンギュラリティが始まり、AIが生活や経済等の中心となることで、日本人がイメージしているようなシンギュラリティとは異なりますが、シンギュラリティに至り、AIが人類の英知を超える時代が到来すると思われます。
汎用人工知能により、デジタル空間上のアンドロイドや、その後、五感を知覚するロボット(ハードウェア)やアンドロイドの実現により、これまで人が行ってきた仕事・政治・戦争等を代行するようになると考えられます。

 

良い面だけ語ると、人類の生活や社会は豊かになると思います。
(前回のブログのディストピアは、その富が世界の国々に平等に行き渡る前の段階)
遠い将来、ロボットやアンドロイドが仕事を代行し、ベーシックインカム(国から一定額の所得を定期的に提供する制度)の導入により、人は働かなくても、一定の生活ができるようになるかもしれません。
絵空事として考えていたユートピアのように、あくせく働くことなく、趣味に多くの時間を割きながら過ごすことができる世界に近付いていくように思います。

 

抽象化された現実の中で

このように汎用人工知能やアンドロイドが、仕事や生活の一部を担うようになると、私たち人間は、生々しい現実世界から離れ、鏡に映したような、抽象化された虚像の現実の中で生きるようになると思われます。

 

これはどういうことなのか説明します。

 

仕事で言うと、現代でもロボットやAI等により、工場のオートメーション化が進んでいます。
すでに国内でも24時間の無人工場も稼働していますが、品質向上・人件費削減・技術継承等のために、益々、ファクトリーオートメーション(FA)が加速し、工場内には、直接手で操作して作業する工員がいなくなり、ロボットやAIが正常に処理されているのか、モニターやデータ等で確認する管理者しかいなくなります。
古くは匠の手仕事によって製品が作り出されていましたが、将来的には管理者がモニターのグラフチェックやデータ分析等を行って製品が製造されるようになります。
部品や仕掛品を手で触ることもなくなり、生々しい現実世界から離れ、抽象化されたデータを見て、製品を製造することになります。
 
また、信じがたいことですが、人間関係も生身の人の付き合いではなく、AIやロボット等にシフトしていくように思います。
人によっては理解できないと思いますので、先に以下の記事を読んでください。
 

globe.asahi.com

 

家庭用イヌ型ロボット「AIBO(アイボ)」が、「孤独」を抱える高齢者を癒やしているそうです。
高齢者施設に入居した人に、毎日、会いに行く近親者や友人はいないでしょう。
また、介護士も少ない人数で仕事をこなさなければならず、高齢者に常に寄り添うことができないことを考えると、AIBOというロボットを活用し、孤独を癒す方法は有益と思えます。
こうした取り組みが加速すると、現実の人とのコミュニケーションは少なくなり、抽象化されたロボットとコミュニケーションが増えていくでしょう。

 

www.nippon-foundation.or.jp

 

不登校児がメタバース空間で1つの「居場所」に集まり、コミュニケーションしたり、学習支援を行ったりしているそうです。
不登校児が増える中、敷居を下げた人が集まる空間を提供することで、そこで人間関係に慣れて、リアルの学校への登校を促すのは、良い取組になりますので、応援したい気持ちになります。
良い取組ではありますが、現実から離れ、抽象化された世界でのコミュニケーションを行っている事例にはなります。

 

また、恋愛も同様の傾向があります。
現代の若者の多くは、LINEで告白しているそうです。

 

woman.excite.co.jp

 

昭和の時代は、トレンディドラマのように面と向かって告白するのが、カッコイイとされてきましたが、令和の時代では、振られて傷付くのが怖い、リアルで告白なんかできない等と言われ、LINEでライトに告白する人が増えています。
つまり、リアルからの抽象化(デジタル化)が進んでおり、リアルで人と人がぶつかり合ってコミュニケーションしていた時代から、自分の殻に閉じこもったコミュニケーションにシフトしています。

 

さらには、結婚も仮想のキャラクターと行うケースが増えています。
先にリアルな結婚を行ったアメリカの事例です。

 

news.yahoo.co.jp

 

虐待やDVの被害に遭った経験を考えると、よっぽどリアルの夫よりも、チャットボット(AI)の夫と結婚する方が幸せなのではないかと思ってしまいます。
人生は苦難に満ちており、不幸になってしまった人が、現実世界から離れ、抽象化されたデジタルの世界で幸せになることは認められるべきことでしょう。

 

また、日本では漫画やアニメのキャラクターと架空の結婚式を挙げる人が増えています。

 

www.yomiuri.co.jp

 

初め私はオタ活の延長と考えていましたが、実際にはキャラクターに真剣に恋してしまい、悩んで、架空の結婚を上げるという人が多いことに驚きます。
キャラクターに恋愛感情を抱く人を、フィクトセクシャルと言い、彼らの悩みを受け止めるために、このようなサービスが生まれたようです。
アメリカの事例と同様に、サイト運営者の渡辺さんも、インタビューを読んでいると、苦難に満ちている人生から、自分を救いを探す方法の1つとして、二次元のキャラクターに恋をしたようにも思います。

 

それにしても、「LGBTへの理解を!」と叫んでいる人たちは、「LGBTF」としてフィクトセクシャルも認めて「理解を!」と叫ぶでしょうか?

 

また、戦争も無人機の登場により、抽象化が進んでいます。

 

www.jiji.com

 

アメリカ国内で、妻や子供と暮らす自宅から基地に通って、テレビゲームのような画面で爆弾を投下し、破壊や殺戮を行います。
ちなみに、アフガニスタンでは無人機による誤爆もあったと言われています(両国で論争中)。
モニター越しで画像が不鮮明であったことが原因なのかは分かっていませんが、このような悲劇を生まないのか心配になります。
一方で、ベトナム戦争PTSD心的外傷後ストレス障害)を発病した人が数多くいたことを考えると、アメリカ人の立場からすると人道的なのだと思われます。
エビデンスはないので感想ですが、一抹の不安になるのは、モニター越しの映像で戦争することで、リアルから離れ、罪悪感を感じることがなく、大勢の人を殺すことができてしまうように思います。

 

生活や経済にChatGPT等のAIが必需品となり、人とコミュニケーションが可能なロボットやアンドロイドが誕生することで、上記のような事例がより加速し、現実の人や物を、見ずに、聞かずに、触れずに判断することになり、これまでの人類の現実の知覚とは異なり、映画や漫画の世界のような虚像の現実を知覚することになるでしょう。
また、誰もが日常的にメタバースで遊んだり、生活するようになることで、映画「マトリックス」のようにデジタル空間で生きる人も出てくるかもしれず、リアルの抽象化(デジタル化)だけではなく、デジタル空間が人生のメインとなり、リアルがサブになる可能性も考えられます。

 

過去の歴史の振り返り

思えば、人類の歴史は、社会や経済の発展に伴い、現実の抽象化を重ねてきました。
前近代では、野生のイノシシを捕まえて、屠殺して解体して食していました。
現代では、イノシシを人間に都合の良い豚に抽象化し、畜産農家に飼育させ、消費者が見ることのない密室(市場等)で解体し、現代の私たちが見るのは、スーパーに並べられた商品としてパッケージされたお肉であり、前近代と比較すると抽象化されてきています。
また、日本では冷凍品の売上が年々増加していますが、ハンバーグやつくね等、食品に加工され、さらに抽象化された状態で見る機会が増えることで、将来的には生のお肉を見ることがほとんどなくなるのかもしれません。
ちなみに、現代でも化粧品にプラセンタが利用されていますが、動物の胎盤から作られていることを想像する人は少ないでしょう。

 

社会や経済が発展・高度化するにつれ、現実の抽象化が進みますが、汎用人工知能によるシンギュラリティによっても、この抽象化が加速度的に進むように思われます。
抽象化された現実の中で、それが当たり前の世代が生まれ、価値観が大きく転換し、最終的には、私たちは動物が持っていた本能を失い、喜怒哀楽を感じる機会が少なくなり、いつかは植物のような人間に変わってしまうのではないでしょうか。

 

前述のとおり、これは人類の繰り返し行われてきた歴史であり、これまでにも繰り返されてきた世代間ギャップの問題でもあります。
どの時代でも上の世代は、しらけ世代、新人類世代、ゆとり世代、Z世代等とステレオタイプで揶揄し、最近の若者はやる気がないとか、覇気がないといつでも言っていました。
世代間ギャップの問題の一要素として、リアルから抽象化(デジタル)への価値観の変化が影響していると思われます。
現代でも、漫画やアニメと結婚する若者に眉をひそめるシニアが、一定程度存在していると思われます。

 

悪い点だけなのか?

それにしても、植物的な人間に変わってしまうのは悪い面だけでしょうか。
いずれの課題もそうですが、もちろん良い面もあります。

 

明治時代、欧米各国が自国の利益のため、アジアやアフリカを植民地とし、
奴隷を働かせ、搾取し、抵抗運動が起こると、軍事力で現地の人たちを殺戮し鎮圧していました。
こうした負の歴史が生まれたのは、人が獣のように、欲望のままに行動していたことも一因だと思います。
現代の私たちは本能を抑えることで、前近代と比較すれば、より良い世界を創り上げてきたのだと思います。

 

また、現代の日本人が戦争に対してこれほどに批判的な考えになったのは、平和を願う気持ちが広がったからですが、他の要因として誰も言わないのは、現代の日本人が動物として弱くなってしまったからでしょう。
今後、有事が起きたとしても、日本の法律を変え、徴兵制を導入しても、弱体化した現代の日本人は、銃を持って勇敢に戦うことは不可能なように思われます。
抽象化された社会による植物的な人間へのシフトは、戦争や犯罪等を減らしている側面もあるように思います。

 

ユートピアとは何なのか?

ベーシックインカム導入により、人はあくせく働くことなく、趣味に多くの時間を割きながら過ごすことができる世界に近付いていくのではないかと言いましたが、はたして、それは幸せな世界になるのでしょうか?

 

趣味に多くの時間を割くことができるため、芸術を楽しむ人も増えると思いますが、人類の芸術作品の多くは、個人の人生の苦悩や悲しみから生まれていました。
人生が辛いものではなくなったら、芸術も、宗教も、哲学も、音楽も不必要になるかもしれません。
例えば、絵画で言えば、パブロ・ピカソは人生や現実の苦悩や悲しみを描こうと、あらゆる表現方法を試した芸術家で、将来的に植物的な人間が増えてしまうと、このような芸術を生むことができる人はいなくなってしまうのではないでしょうか。
アンディ・ウォーホルはリアルから絵画を創るのではなく、既存の絵画への対抗として絵画を創りましたので、絵画という抽象化されたものから絵画を創作する手法でした(絵画の中の絵画)。
AIの生成画像も、アンディ・ウォーホルの絵画と同等の空虚さを持っており、今後はこのような芸術しか生まれなくなるのでしょう。
(教師データとして既存絵画の画像を投入して、画像生成しているので当たり前ですが……)
人類は歴史の遺物を楽しむように過去の絵画を観るか、絵画の中の絵画を生成して楽しむことしかできなくなるでしょう。
絵画が人生や現実の苦悩や悲しみを表現することを捨て、絵画の中の絵画を追求した場合に、これが芸術の高度化なのかは、自分には分かりません。
ただの感想として、現代を生きる私には、空虚なものに思えます。

 

最後に、誰でも知っていることわざ「隣の芝生は青い」の通り、私たちは現代の価値観で、将来のユートピアを羨ましがっており、それは将来の子供たちの価値観とはかけ離れていて、現代の私たちの勘違いなのかもしれません。
新しい子供たちには、新しい価値観と、新しい幸せがありますが、今の価値観の中で生きている私たちは、今を生きるのが最も幸せで、自分たちの寿命が残っているうちは、価値観が大きく変わらない方が幸せで、シンギュラリティによるユートピアは幻想なのかもしれません。