日本の大企業ではSaaS新規事業は不可能なのか?②

前回に引き続いて「日本の大企業ではSaaS新規事業は不可能なのか?」 というテーマについて語りたいと思います。
誰に刺さる話なのか分からない内容ですが、最後までお付き合いをお願いします。
なぜ大企業ではスピーディにアプリを開発できないのか?
大企業でアプリ開発がスピーディに進まない理由の一つとして、セキュリティと品質に対する要求水準の高さが挙げられます。
大企業にとってブランド価値は社会的資産となっており、ひとたび不具合や事故が発生すれば、企業全体の信用を揺るがす重大なリスクにつながります。
セキュリティ対策が不十分なまま、サービスを提供すれば、7pay(セブンペイ)の不正アクセス問題のように、全国的なニュースとなり、社会的批判を浴び、サービス停止や事業撤退に追い込まれ、さらには、企業ブランドの棄損にも直結します。
また、品質確認が不十分な状態でアプリをリリースすると、障害が発生し、利用企業の業務に深刻なダメージを与える恐れがあります。
実際、生産管理アプリの障害によって、江崎グリコのプッチンプリンが一時出荷停止となった事例もありますが、システム開発ベンダーに対して損害賠償請求を検討する可能性があることも報じられています。
これらの事例が示すように、大企業がアプリ開発に時間を要するのは、単に組織が大きいからではなく、失敗が許されないというブランドリスクと社会的責任を背負っているためであり、スタートアップのようなスピード感で開発を進めることが難しい構造があります。
また、アメリカではGoogle、Meta、Amazonなどのテック企業はもちろんのこと、金融・小売・物流といった非IT企業でも、エンジニアを自社雇用し、プロダクトを内製することが広く見られます。
内製化によって改善サイクルを高速化することができ、競争力の高いアプリを継続的に生み出すことが可能になります。
一方、日本企業は歴史的に、システム開発を外注するモデルが主流であり、要件定義から実装まで、SIerにすべてを委託するケースが多く見られます。
外注では中間マージン(利ザヤ)が発生してコストが高くなる上、改修のたびに条件調整・見積・契約が必要となり、時間が掛かります。
また、SIerは技術力はあるものの、ビジネスや業務への理解が十分ではない場合も多く、コミュニケーション齟齬が発生しやすいため、発注側の意図を正確に形にするには、何度も会議を重ねる必要があります。
さらには、技術やノウハウが社内に蓄積せず、内製化が進まないまま、初期開発だけではなく、開発後の保守・運用までも外注に依存することになり、運用コストも高止まりする傾向があります。
個人開発の場合は、企業の従業員のように労働時間規制やコンプライアンスの制約を受けないため、昼夜を問わず、土日も含めて開発に集中することができます。
もちろん、これはあくまで個人の自己責任であり、企業の従業員が同じ働き方を強制すればブラック企業と批判されます。
個人開発は自分の裁量で時間を投じられるため、圧倒的な低コストでアプリを創り上げることができます。
実際、スタートアップの創業者の中には、インタビューなどで、立ち上げ期に無給で働いていたと語る人もいます。
日本の大企業は要件を決められない
日本企業では、要件をなかなか決められないという構造的な問題があります。
スティーブ・ジョブズのようにトップが強いリーダーシップで、方向性を即断する文化は一般的ではなく、多くの場合、何度も会議を重ねながらあるべき要件を議論していく必要があります。
マネージャー、関係部門、法務、セキュリティ、営業など、多様なステークホルダーがそれぞれの立場から意見を述べるため、意見の集約には時間がかかり、合意形成が難航しがちです。
そのため、大企業ではITコンサルティング会社を活用するケーズが多く見られます。
本来は社内に答えがあるにもかかわらず、第三者の意見による補完や、ステークフォルダの調整役としてコンサルを起用することが一般的です。
年間で数千万円から1億円以上の費用が発生する例も珍しくなく、開発コストが膨れ上がる一因となっています。
さらに、大企業では開発予算が厳密に決められており、自分たちで柔軟に開発の方針を決めることができません。
失敗や遠回りが許容されにくいため、会議室の中で綿密に要件を固めてからプロジェクトを進めざるを得ません。
大企業では議論が長期化しやすく、その分だけ余計な時間と人件費が掛かります。
また、長い議論を経て決定した要件であるがゆえに、途中で方向転換したり、やり直したりすることが極めて難しいという制約も生まれます。
一方、個人開発の場合は、良くも悪くも意思決定者が自分ひとりであり、思いついた仕様をすぐに実装し、ユーザーに触ってもらい、フィードバックを受けて改善するという、いわゆるアジャイル開発を自然に実践することができます。
紆余曲折はあるものの、本来の仮説検証を繰り返しながら、製品を磨き上げていくことができます。
もちろん、個人開発が常に順調というわけではなく、実際にはユーザーに受け入れられず、消えていくサービスが多数あります。
生活のために別の仕事を持ちながら、「起業家兼会社員」として開発を続ける人も少なくありません。
大企業の新事業はなぜ上手くいかないのか?
大企業が新規事業を取り組む際、多くの場合、3年で黒字化し、その後、5年で初期投資を回収をしなければならないという社内ルールを設けます。
ただ、実際の新規事業の立ち上げでは、黒字化に3~5年、初期投資の回収に5~10年掛かることも多いです。
また、SaaSというビジネスモデルでは、さらに、黒字化や初期投資の回収に、時間が掛かる傾向にあります。
SaaSは立ち上げ初期に、ユーザー獲得(いわゆる面取り)に全振りする必要があります。
無料プランや低価格プランでユーザーを集め、解約率を下げるためにプロダクト改善を繰り返します。
この期間は売上がほとんど立たず、サーバー費用・開発費・サポート費などが積み上がるため、赤字が続くのが、むしろ正常な状態とも言えます。
実際、日本の代表的なSaaS企業は例外なく、長期の赤字期間を経験しています。
・freee :黒字化まで10年以上(推定12年)
・マネーフォワード:黒字化まで10年以上(推定13年)
・Sansan :黒字化まで10年以上(推定12年)
つまり、SaaSは3年で黒字化は到底不可能なビジネスモデルであり、そもそも大企業の投資回収モデルと噛み合わないように思います。
大企業では5~10年間、赤字のままでユーザーを育てるという発想を持ちにくく、SaaSの本質である長期投資を途中で止めてしまいます。
近年では、カーブアウト(大企業内の新規事業を外部に切り出し、独立したスタートアップとして育てる手法)が注目を浴びていますが、これは、大企業の中ではSaaSが育ちにくいという構造的問題の裏返しでしょう。
他方で、SaaSが長期投資型であることは変わりませんが、システム投資額を抑制するため、開発コストを低減し、開発スピードを上げる工夫は大企業でも不可欠です。
■打ち手
・アジャイル開発を採用し、改善サイクルを高速化
・ローコードツールなどを採用し、初期構築や改善の生産性を高める
・AIコーディングを導入し、開発スピードを引き上げる
・OSSを積極的に採用し、ゼロから作らない
・他社SaaSを組み合わせて機能を構築し、内製部分を最小化する
これらの手法を組み合わせることで、大企業でもSaaS開発の重さを軽減し、黒字化までの距離を縮めることができます。
BtoBのSaaSは売れるまでに時間が掛かる
BtoB向けのSaaSは売れるまでに長い時間を要することが、一般的であり、その最大の理由は、企業側の検討・承認プロセスが複雑で、多段階に渡る点にあります。
企業が新しいシステムを導入する際には、通常、次のような複数のステップを踏む必要があります。
①現場部門による要件整理
②情報システム部門による技術やセキュリティ評価
③法務・コンプライアンス確認
④フリープランや少数ライセンス数でのPoC(概念実証)よる効果検証
⑤経営層の投資判断
⑥稟議・予算承認
特に大企業では、これらのプロセスが厳格に運用されており、1つのSaaSを導入するだけでも6~18か月を要することがあります。
場合によっては、セキュリティ審査やPoCを複数回実施し、導入可否の判断に至るまでに、さらに時間が延びることもあります。
また、BtoBのSaaSは契約金額が大きく、一度、導入すると長期間使い続ける前提で検討されるため、企業側も慎重にならざるを得ません。
その結果、営業側は長期的な関係構築や継続的なフォローが必要となり、受注までのリードタイムが非常に長くなる構造が生まれています。
新規事業としてSaaSを立ち上げる場合、初期投資を終えた後には、次のようなフェーズが待っています。
・0→1フェーズ:最初の顧客獲得
・1→10フェーズ:少数の顧客から小規模な市場へ広げる
当該フェーズで、ユーザー獲得に大変苦労し、大きな壁に直面することが多く、結果として投資が途中で打ち切られてしまうケースも少なくありません。
顧客の真の悩みを解決することが、打ち手となるか?
多くのビジネス書では「現場のペインポイントを深く理解し、それを解消すれば成功できる」と語られていることが多いですが、現実はそれほど単純ではありません。
いまだに解消されていないペインポイントには、SaaSだけでは対処しきれない構造的な問題が潜んでいることが多く、SaaSは魔法の杖ではないため、比較的単純な課題の解決や、改善のきっかけを提供することに限られます。
本質的な課題は、最終的には現場自身が変わらなければ解決しないケースが少なくありません。
また、顧客のペインポイントは表面的には同じように見えても、実際には複数の要因が複雑に絡み合っています。
SaaSは、一社の課題解決ができれば、追加コストなどを掛けずに、他社にも同じアプリを横展開できるため、利益率が高いビジネスと言われますが、実際には、業種や企業文化によって課題は形を変えるため、単純に横展開できるとは限らず、
SaaSのビジネスは容易にスケールさせられない現実があります。
大企業の新規事業部門やスタートアップが、こうした複合的な課題を解決するSaaSを構築するには、まず各業種の業務プロセスを深く理解し、多面的なニーズに応えられるノウハウを蓄積する必要があります。
このプロセスには数年単位の時間と相応のコストがかかり、ようやく価値あるソリューションとして提供できる段階に至ります。
「顧客の真の悩みを解決する」というアプローチは理念としては正しいものの、実現には長期的な投資と包括的なソリューション構築が不可欠であり、短期的な収益を求められる大企業の新規事業部門やスタートアップが必ずしも容易に採用できる戦略ではないと言えます。
デジタイゼーションからのDXへのアプローチ
これまで述べてきたように、SaaSで短期的に収益を得ることは容易ではなく、段階的にプロダクトを育てていくアプローチが現実的な勝ち筋となります。
その一つの方法としては、まず社内でデジタイゼーションのためにアプリを活用しつつ、社内利用を通じて価値あるアプリへと磨き上げた後、DXとして外販するという方法になります。
ここで、DXという言葉を整理しておきたいと思いますが、DXには次の3段階があります。
・デジタイゼーション(Digitization):アナログ業務をデジタル化
・デジタライゼーション(Digitalization):デジタル技術で業務プロセスを根本から効率化
・DX(Digital Transformation):ビジネスモデルを変革し、新たな価値を提供
デジタイゼーションはあくまで社内の業務効率化に過ぎませんが、この段階で社内ユーザーからフィードバックを受け、アプリを継続的に改善することで、本当に価値のあるアプリケーションが何かを探索することができます。
さらに、単なるアプリ提供にとどまらず、社内のカスタマーサクセスの活動を通じて、業務プロセスの改善や社内変革などのソリューションとして磨き込むこともできます。
こうして社内で培ったアプリとソリューションを基盤に、外部企業向けにSaaSとして提供すれば、他社にとっても価値あるサービスとして成立する可能性が高まります。
オープンイノベーションによる新規事業の共創
近年、新規事業は1社だけで実現させることが極めて難しいと指摘されています。
技術の高度化、顧客ニーズの多様化、開発スピードの加速などにより、単独企業がすべての機能・技術・リソースを抱え込むことは現実的ではないことから、オープンイノベーションを活用し、外部企業と連携しながら新規事業を創出することが不可欠となっています。
オープンイノベーションでは、以下のようなアプローチが考えられます。
・自社技術×他社技術の掛け合わせによる新規事業の開発
自社が強みを持つ技術やデータに、他社の専門性や独自技術を組み合わせることで、
単独では生み出せない新しい価値を創出できる。
特にAI、IoT、クラウド、セキュリティなどの領域では、
複数企業の技術を統合することで競争力の高いサービスが生まれやすい。
・OEMによる他社ソリューションの提供
自社ブランドとして他社のソリューションをOEM提供する方法も有効となる。
開発コストを抑えつつ、スピーディに市場投入できる点がメリットで、
新規事業の立ち上げフェーズでは特に有効な選択肢となる。
ただし、単なるOEM提供では、
自社サービスとしての独自価値が生まれにくいという課題があるため、
以下の工夫により、差別化された価値を提供することが重要となる。
・自社の技術やデータと組み合わせる
・自社サービスとして機能を追加・拡張する
・自社の他サービスと連携させる
・他社の有望サービスの買収(M&A)
大企業がSaaSを提供する勝ち筋
ここまで「日本の大企業では新規事業としてSaaSは成り立つのか?」について語ってきました。
大企業がSaaS事業で成功するのは非常に難しく、また、書籍やセミナーで言われているようなスタートアップ同じようなアプローチではなく、大企業にアジャストした異なるアプローチが求められます。
最後に大企業ならではの勝ち筋をまとめておきます。
これらの打ち手を戦略的に組み合わせることで、成功率は上がるように思いますが、
それでも困難なことには変わらず、新規事業に取り組む人たちの努力と、経営層の温かい支援が必要なことには変わりません。
・まずは自社・グループ内で利用し、プロダクトを磨き込む
・ゼロイチ開発(ゼロの状態から、サービスをすべて自社で開発する)の場合は、長期投資を覚悟する
・SaaS企業の事例からの目安
黒字化:10年前後
投資回収:10~15年
・初期はローコードツールやOSSなどを活用し、開発生産性を最大化する
・外部連携・買収・OEMを検討する
最後に、昨今、日本企業では、海外のSaaSやAIばかりを利用していますが、これが経済の差にもつながっているかと思いますので、国産のSaaSやAIが世界で成功することを祈っています。
日本の大企業ではSaaS新規事業は不可能なのか?①

近年、日本でもDXの取り組みが盛んに行われるようになり、スタートアップによる成功事例は数多く生まれていますが、一方で、「DXに成功した」と胸を張って言える大企業は、まだ決して多くありません。
DXとはデジタルを活用して新たな価値やビジネスを創出する取り組みであり、その一形態としてSaaSを提供するケースもあります。
現実にはDXに苦戦している企業が多いのも事実のため、今回は「日本の大企業ではSaaS新規事業は不可能なのか?」 というテーマについて考察してみたいと思います。
誰に刺さる話なのか分からない部分もありますが、私自身は非常に重要な論点だと考えており、ここで整理してみたいと思います。
日本の大企業の新規事業とSaaSについて
現在、日本は名目GDPにおいてドイツに抜かれ、世界第4位となりました。
依然として市場規模は大きいものの、世界経済をけん引する存在感は低下しつつあります。
その背景には、既存産業の成熟と成長鈍化に加え、新たな産業を創出するスタートアップの層の薄さがしばしば指摘されます。
アメリカでは、テクノロジーを核としたスタートアップが次々と誕生し、クラウド、モバイル、AI、バイオなどの分野で新産業を形成してきました。
一方、日本でもここ10年でスタートアップ投資額は増加し、東京は2024年に世界のスタートアップ・エコシステムランキングでトップ10入りを果たすなど、一定の前進も見られます。
しかし、ユニコーン企業の数やグローバル市場での存在感という観点では、依然として米中に大きく水をあけられているのが現状です。
SaaS(Software as a Service)とは、「ソフトウェアをインターネット経由でサービスとして提供・利用する形態」を指します。
SaaSは利用料をサブスクリプション(定額課金)として支払うため、初期費用を抑えつつ、迅速に導入できることから、企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)を支えるインフラとして世界的に普及しました。
アメリカでは、Google、Microsoft、Amazon、Metaなどの巨大テック企業だけでなく、
Salesforce、Zoomなど、SaaSを中核とする企業が次々と上場し、時価総額ベースでも世界経済を牽引する存在となっています。
www.nec-solutioninnovators.co.jp
日本でも2010年ごろから、バックオフィス業務、営業支援、人事・労務、会計、製造業向けなど、様々な領域でSaaSを提供するスタートアップが立ち上がりました。
しかし、近年、市場が成熟し、競争が激化し、顧客の要求水準が高まったことで、単にSaaSを立ち上げれば成長できる時代は終わりました。
特にBtoB領域では、現場のペインポイントを深く理解し、業務プロセスそのものに踏み込む価値提供が求められ、成功の難易度は年々上昇しています。
それにもかかわらず、日本の大企業の中には、SaaSやAIといったバズワードに魅せられて、20年前のアメリカンドリームを追いかけ、新規事業へ参入するケースがいまだに少なくありません。
それが単なる夢に終わり、なぜ成功しないのかを、ここで語りたいと思います。
SaaSはすでにレッドオーシャンになりつつある
Facebookの成功ストーリーの通り、ハーバード大学の学生だったマーク・ザッカーバーグと数名が立ち上げたSNS(提供形態としてはSaaSに近い)は、大学内から瞬く間に全米へ広がり、やがて世界最大級のプラットフォームへと成長し、現在は Meta(旧Facebook)として、メタバースやAI領域まで事業を拡大し、ビッグテックの一角を占める存在となりました。
日本の企業は、今でもこのような夢物語を追いかけているように思います。
しかし、この物語は20年前のものであり、当時のインターネット市場は未成熟で、競争環境も現在とはまったく異なります。
現在、SaaSはいまだに市場は成長を続けているものの、供給過剰・競争激化・AIによる再編などのレッドオーシャンに突入してつつあるように考えられます。
世界中の企業がSaaSに挑戦し、主要領域はすでに出揃い、磨き込まれ、差別化が難しくなりました。
BtoCには未開拓のテーマが残るものの、BtoB領域では企業のあらゆるペインポイントに対応するSaaSが乱立し、同質化したサービス同士が競い合い、淘汰されてきました。
もはやニッチなニーズを発見する以外に勝ち筋がありませんが、年々、そのニッチも見つけにくくなっています。
また、圧倒的なプロダクト力と資本を持つトップ企業による寡占の状態にも問題があります。
大企業の新事業部門やスタートアップがニッチなニーズを見つけても、GFAMのような巨大企業が後追いで参入し、巨額投資によって市場を奪うケースがあります。
また、競合となり得るスタートアップを買収し、市場から排除しているように見受けられる事例もあります。
こうした構造の中で、大企業の新事業部門やスタートアップが持続的に成長するのは極めて難しい状況です。
また、SaaSを構築するためのコストが上昇していることも、大企業の新事業部門やスタートアップにとって大きな参入障壁となっています。
SaaS黎明期には、顧客が求める要件は比較的シンプルで、単機能のプロダクトでも一定の評価を得られました。
現在では、高いユーザビリティ・多機能化・価格の妥当性・高いセキュリティ水準・安定した品質・丁寧な運用サポートなどが、当然の前提となり、初期段階から相応の開発投資が必要になってきています。
SaaS is Dead論の台頭
上記の議論を補完する意味で、SaaS is Dead論を解説しておきます。
2024年末、マイクロソフトCEOのサティア・ナデラが、ポッドキャスト番組で「SaaS is Dead」と言い放ったことで、ソフトウェア業界が大きな議論が巻き起こりました。
当初、「SaaS is Dead論」は、SaaSにおけるUIやビジネスロジックがすべてエージェントAIに置き換わり、SaaSはデータベースとCRUD(データの追加・更新・削除)だけを
提供する薄い層に退化するという主張でした。
この見方は極端すぎると考えており、業務プロセスを全面的にエージェントAIに委ねた場合、AIがルール通りに処理しないリスクが生じるうえ、AIモデルの継続的な調整・メンテナンスが必要となり、運用負荷が高くなる可能性があります。
実際、多くのSaaSが担っている業務処理は、依然としてルールベースで堅牢に実装する方が適しているケースが多い状況です。
さらに、SaaSが単なるシステムではなくソリューションと呼ばれるのは、企業が採用すべき業務フローのベストプラクティスを内包し、導入企業の業務プロセスや組織文化の変革に寄与する側面がありました。
もしエージェントAIが社内マニュアルに従って判断・処理を行うだけになれば、業務改善の契機が失われ、プロセスがブラックボックス化し、現場の手触り感が失われることで改善活動が困難になる恐れもあります。
初期の議論では、AIが業務ロジックを全面的に代替し、SaaSはUIとデータベースのみを提供する存在に縮小すると予測されたましたが、現状を見る限り、SaaSが完全に消滅する未来像は現実的ではありません。
ただ、「SaaS is Dead 論」が示した問題意識の一部は正しく、今後のSaaSは、AIエージェントが業務処理を呼び出せるようなインターフェースを備え、生成AIによる効率化機能を積極的に取り込まなければ、競争力を失い市場から淘汰されると考えられます。
SaaSが死ぬのではなく、AI対応がSaaSの存続条件となるという点こそが、この議論の核心でしょう。
このような状況を踏まえると、AI導入に伴う初期投資コストは確実に上昇しており、新規SaaSが市場に参入するためのハードルはかつてないほど高くなっています。
結果として、スタートアップにとっては資金調達・開発・市場獲得のいずれの面でも負荷が増し、SaaS領域での新規創業はますます厳しい局面を迎えています。
バーティカルSaaSが打ち手となるか?
新規SaaSが市場を獲得することが難しくなる中で、次の打ち手として注目されているのが、バーティカルSaaSです。
バーティカルSaaSとは、医療・建設・物流など、特定の産業領域に特化し、その業務プロセス深く理解したうえで、最適化するアプリケーションを提供するモデルです。
一見すると新しい概念のように語られていますが、本質的には特定領域に深く入り込むニッチ戦略にほかなりません。
対象となる産業は、DXが十分に進んでおらず、参入障壁が高いケースが多く、とりわけ医療や建設などの分野では、歴史的にデジタル化への抵抗感が強く、業務フローの変革には相応の時間と労力を要します。
そのため、バーティカルSaaSは確かに市場の隙間を突く有効な戦略ではあるものの、導入までのハードルが高く、短期的に大きな収益を得ることは容易ではありません。
むしろ、深い業界知識、長期的な顧客育成、現場との継続的な調整が不可欠であり、一般的なSaaSよりも事業構築の難易度は高いと言えます。
理論上、バーティカルSaaSは魅力的な選択肢であるものの、その難易度の高さから、大企業の新事業部門やスタートアップが容易に採用できる戦略とは言えません。
上記の内容は、主にBtoB向けSaaSに当てはまると考えられます。
一方、BtoC領域では、個人が開発した便利なアプリが、音楽のインディーズのように個人発で広がるケースも見られます。
BtoB向けSaaSは、解決すべき業務が複雑で、多機能性が求められるため、開発投資が大きくなる傾向がありますが、BtoCでは優れたアイデアさえあれば、機能が少なくてもユーザーに受け入れられることがある点を補足しておきます。
OSS普及とAIコーディングがもたらす開発革新
近年、OSS(オープンソースソフトウェアで、ソースコードが公開され、ライセンス範囲で利用・改変・再配布が可能)の普及と、低コストで利用できるIaaS・PaaSの拡大により、アプリ開発のハードルが下がってきています。
例えば、GitHub(クラウド上でプログラムの保存・管理・共有できるサービス)上では、OSSを利用した際に、感謝を込めてスターを送りますが、個人で開発したOSSが数千、数万スターを獲得することも増えてきています。
技術力のある人やAIを上手く活用できる人が、個人でアプリを開発して、広く利用されるようになったケースは、日本でも徐々に増えています。
一方で、自社で提供するサービスにOSSを組み込む場合には、ライセンスや権利関係を正確に理解しておく必要があります。
ライセンス条件の誤解や不遵守が原因で、後になって、企業が訴訟や賠償請求に巻き込まれた事例も存在します。
また、OSSは無償で利用できる反面、無償利用の場合はサポートを受けられず、トラブル発生時には自己解決が基本となるため、対応に時間が掛かる場合があります。
OSSの中には、有償サポートを提供しているケースもありますが、数多くのOSSの有償サポートを契約締結することの手間やコストがハードルとなり、無償のまま利用することが実情です。
また、近年、AIコーディングエージェントが急速に進化したことで、ビジネスの現場でも実用例が見られるようになりました。
従来のAIによるコード補完から一歩進み、人間は要件定義や仕様を指示するだけで、AIがコードの生成・修正・テストまで自動で実行するという開発スタイルが、将来、夢ではなくなってきていると言われています。
特に、自然言語で指示を与えるだけで、アプリケーションの骨格を構築できるエージェント型AIが登場により、個人開発者や小規模チームでも、難易度が高くないアプリであれば、これまで数週間掛かっていた開発を、数日で完了できる可能性が出てきています。
AIコーディングエージェントは開発効率を劇的に改善する可能性を秘めているものの、生成されたコーディングによりブラックボックス化する問題もあります。
特にBtoBでは、厳しい品質基準を満たすために、AIが生成したコードを細部までレビューする必要があります。
実際、開発作業はレビューやテストが大きな工数を占めており、AIコーディングエージェントだけで、劇的に開発スピードを向上させるには限界があり、運用に至るまでの試行錯誤が不可欠です。
以上を踏まえると、OSSやAIコーディングエージェントを効果的に活用するためには、最新技術の継続的なキャッチアップ、適切な開発体制、ツール整備、ノウハウの蓄積が欠かせません。
これらに本気で取り組める企業でなければ、OSSやAIを十分に活かすことは容易ではないと考えられます。
いったん長くなってきましたので、ここで筆をおきたいと思います。
まだ、課題ばかりの話となってしまっていますが、次回は打ち手がないのかを考察していきたいと思います。
今更ながらの「君たちはどう生きるか」レビュー

すでに数多くの人が語っており、今更ではありますが、先日、初めて私は金曜ロードショーで「君たちはどう生きるか」を観ました。
本作について、あらためて取り上げてみたいと思います
「君たちはどう生きるか」は、宮﨑監督が原作・脚本・監督を手掛けたファンタジーで、2013年公開の「風立ちぬ」以来、10年ぶりの新作です。
しかし、ジブリ作品でありながら、発表当時は、一部の人から理解できない、つまらないなどといった否定的な声も上がり、賛否両論を巻き起こしました。
すでに多くの評論や解釈が出揃っている本作ですが、今回は、他の人があまり触れていない、重要なポイントに焦点を当てて語っていきたいと思います。
なお、以下には作品のネタバレが含まれています。
「君たちはどう生きるか」のほか、「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「失われたものたちの本(ジョン・コナリー著)」などの内容も引用・比較しておりますので、ご注意ください。
また、本作は観る人によってさまざまな解釈が可能な作品であり、私の見解が正しいわけではありません。
あくまで一つの視点として、気軽にお楽しみいただければ幸いです。
全体評価
本作は、従来のエンタメ作品のように明確な説明や伏線回収をしないまま進み、ハッピーエンドに向かうあらすじを設定せず、寝ているときに見た夢のような映像が連なっていく、アート作品となっています。
黒沢明監督の「夢」と同じような作品と位置づける人も多いようです。
本作を見た人たちからは、ストーリーに無理がある、理解できない、矛盾があるという声もありますが、メタファーを用いたアート作品になりますので、寝ているときに見る夢と同じであり、支離滅裂な点があるのは、致し方ないことかと思います。
また、作品内には、宮﨑監督が影響を受けた作品や神話などから引用された断片的なイメージも多数見受けられ、それらはストーリーを構成するためではなく、宗教的・寓意的なメタファーとして機能しています。
プロデューサーの鈴木氏がインタビューで発言されているように、宮﨑監督は本作で「自伝」を描いたと考えられます。
通常、アーティストが自伝を書く際は、自身の経験や人づての話をベースに、組み合わせたり、改変し、ストーリーを構築しますが、彼はファンタジーを楽しいエンタメではなく、メタファーとして活用しながら、寓話を構築しています。
その寓話が、見えない幽霊を映し出す「鏡」のように、作者である宮﨑駿自身を、歪めて別の姿で映し出しています。
ちなみに、過去のジブリ作品を想起させるキャラクターやシーンが登場するのも、自伝的な要素を表現するために、意図的に取り入れられているように思います。
人は死を迎える際、走馬灯のように人生を振り返ると言われていますが、まるで宮﨑監督が死の間際に見た走馬灯が、本作であるようにも思います。
宮﨑監督自身が「この作品は自分でもよく分からない」と言っているのは、そのためで、自身で明確なストーリーを描いていないため、宗教的・寓意的なメタファーを用いて描いた自分の人生が、観客にどのように伝わるのか理解できないのではないかと思います。
この手法は、近代芸術に通じるものであり、分かり易い例としては、「R.Mutt」と便器に署名して展示したマルセル・デュシャンと同様で、アーティスト自身が観客に解釈をゆだねた作品と言えるでしょう。
本作のあらすじ
本作では、一つのストーリーが構成されていないと述べましたが、あらすじと呼べる物語の骨組みが存在します。
エンドロールでは「影響を受けた本」として「失われたものたちの本(ジョン・コナリー著)」が紹介されています。
この物語があらすじとして流用されていますので、ここで「失われたものたちの本」の内容を簡単に振り返っておきましょう。
「失われたものたちの本」のあらすじ
第二次世界大戦下のイギリスで、12歳の少年デイヴィッドは、病で母を亡くし、父の再婚により、義母ローズの一族が所有する郊外の館へ引っ越します。
ローズとの間には弟ジョージーが誕生し、孤独と喪失感に苛まれた彼はいつしか本の囁きを聞いたり、不思議な王国の幻を見たりしはじめます。
ある日、死んだはずの母の声に導かれて、裏庭の裂け目から、捻じ曲げられたおとぎ話の登場人物や神話の怪物たちが蠢く、美しくも残酷な物語の世界の王国に迷い込んでしまいます。
デイヴィッドは元の世界に戻るため、「王」と呼ばれる存在を探す旅に出ます。
旅の中で、現実逃避や恐れと向き合いながら、彼は内面的に成長していきます。
やがてデイヴィッドは「王」と対峙することになりますが、その「王」はかつて大切にしていた感情や希望を忘れた存在であり、デイヴィッドの「未来の姿」である可能性が示唆されます。
デイヴィッドはその姿を否定し、異世界を脱出し、元の世界に帰還します。
彼は人生の意味や家族の絆、喪失を乗り越える力を深く理解するようになりました。
このようなあらすじは、「指輪物語(J・R・R・トールキン)」「ネバーエンディング・ストーリー(ミヒャエル・エンデ)」「ナルニア国物語(C.S.ルイス)」など、様々な作品で繰り返し用いられてきたものであり、世界中の神話に共通する「生きて帰りし物語」の構造ともよく似ています。
「君たちはどう生きるか」には、「失われたものたちの本」とよく似た設定が随所に見られ、あらすじを踏襲しているように思われます。
本作は前衛的なアート作品ですが、一般的にアート作品は、荒唐無稽な表現や宗教的な観念などにより、理解が難しい作品になりがちですが、本作が、観客に何とか理解できる作品となっているのは、物語構造として下地があるからこそだと考えられます。
ただし、エンドロールでは「失われたものたちの本」は原作ではなく、「影響を受けた本」として紹介されている点に明確な意味があるように思えます。
つまり、「君たちはどう生きるか」のストーリーは、三層構造になっており、第一層は「失われたものたちの本」のあらすじに当たりますが、それは全体の包む枠に過ぎず、本作の本来のストーリーは、第二層の「自伝」であると考えられます。
第一層は、ストーリー全体を破綻させないためのガイドラインとして機能しており、この部分にこそ、宮﨑監督が本作を芸術的なカルト作品として埋もれさせないように、細心の注意を払った点のように思います。
生い立ち
本作の第二層が「自伝」であることから、まずは宮﨑駿氏の生い立ちを振り返ってみましょう。
父・宮﨑勝次は学生時代に結婚しましたが、その妻は1年も経たないうちに結核で亡くなってしまいます。
その後すぐに、美子と恋愛結婚し、彼女が宮﨑駿氏の母となりました。
父は大学卒業後、叔父が社長を務める軍需工場に就職し、戦時中には実質的に、その工場の運営を担い、戦闘機のキャノピーなどを製造しながら、戦時経済のもとで事業を拡大していきました。
そんな中、1941年に、東京市文京区で、四人兄弟の次男として宮﨑駿氏が誕生します。
太平洋戦争の開戦後、工場が宇都宮に移転したことに伴い、一家は宇都宮に疎開しました。
宮﨑家はトラックを保有するなど、裕福な暮らしを送っていました。
幼少期、宮﨑氏は美しい戦闘機のキャノピーなどを見て、軍用兵器への憧れと、それが人を殺す道具であることへの嫌悪という、相反する感情を育んでいきます。
こうした宮﨑駿氏の生い立ちは、「君たちはどう生きるか」の主人公「眞人」の設定と多くの点で重なっており、ストーリーに色濃く反映されていることが分かります。
1945年、宇都宮は空襲を受け、宮﨑一家は、当時、まだ一般家庭には珍しかったトラックで避難しました。
その際、子どもを抱えた近所の女性が「助けてください」と駆け寄ってきたにもかかわらず、駿少年は「乗せてあげて」と叫ぶことができませんでした。
この出来事は、後年まで彼にとって重い負い目となり続けたと伝えられています。
このエピソードは、宮﨑氏が自身の作品に大きな影響を与えた出来事の一つであり、眞人も同じような気持ちに苛まれていたことでしょう。
戦争で財を成した父のもと、眞人は大きな屋敷に疎開し、転校初日には当時は珍しい車で登校しました。
それは地元の少年たちの目には「金持ち自慢」に映り、結果として、少年らから殴る蹴るの暴行を受けることになったのでしょう。
けれども、眞人は少年たちを恨むのではなく、東京から来たお坊ちゃんという自分自身が許せずに、加えて、それが戦争で人を殺す兵器を売ることで得た金であるという罪の意識から、道端の石で自分の頭を殴ったのだと考えられます。
宮﨑駿氏の生い立ちに戻ります。
1947年、母が結核を発症し、以後9年間に渡り、寝たきりの状態となり、母と触れ合うことができなくなります。
病弱ながらも、頭脳明晰で読書家だった母は、政治談義をした際、子供たちが泣くほどに言い負かすなど、口が達者で、強烈な個性の持ち主だったと言われています。
「君たちはどう生きるか」では、継母である夏子が失踪し、眞人は彼女を探すために、異世界に入っていきます。
異世界の中で、やっと夏子と再会するも、「あなたなんか大嫌い。出て言って」と拒絶されます。
それでも眞人は「お母さん、夏子母さん、母さん」と呼び続け、彼女を助けようとします。
この姿は、宮﨑駿氏自身が、幼少期に愛を求めながらも母に拒絶され、それでもなお、母の愛を渇望していたという切実な叫びを象徴しているのでしょう。

「君たちはどう生きるか」は自伝と言われているため、登場するキャラクターが、誰をモデルにしているのかかも話題となっています。
アオサギは、スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫氏だと言われています。
アオサギは、汚れた社会の現実を知る大人の化身であり、その口の中からは、オジサンが現れます。
当初、眞人はアオサギに対して反感を抱きますが、共に異世界を旅するうちに助け合い、互いを認め合うようになり、最後にはアオサギのことを友達と呼ぶまでの関係に変わっていきます。
鈴木敏夫氏と宮﨑駿氏の出会いを、紹介しましょう。
1978年、徳間書店は日本初の商業アニメ専門誌『アニメージュ』を創刊することになりました。
ところが、その創刊日まで残された時間はわずか3週間ほどしかなく、急遽、鈴木敏夫氏がその立ち上げを託されます。
彼は急ぎ、アニメファンの女子高校生たちをモニターに起用し、キャラクターの魅力を前面に押し出しながら、制作者へのインタビューを多く掲載し、アニメ誌としての方向性を打ち出しました。
大衆性を意識し、あえて低俗とされる芸能雑誌の手法を参考にしながら、話題のアニメを特集する誌面を作り上げたのです。
その頃、鈴木氏は宮﨑氏に『太陽の王子 ホルスの大冒険』の取材を打診しましたが、
「活字で16ページくれるなら受ける」と、やや無理難題とも言える返事を受け、取材は断念せざるを得ませんでした。
それから時を経て、映画『ルパン三世 カリオストロの城』の取材を依頼する中で、再び宮﨑監督と再会します。
しかし、その際、「あなたの雑誌は、アニメで商売をして子どもを騙そうとしている」と、厳しい批判を受けました。
それでも鈴木氏は、反論することなく宮﨑監督の隣で静かに仕事を始めたといいます。
3日間、口を利くこともなかったそうですが、やがて宮﨑監督はカーチェイスの場面の絵コンテを見せ、セリフの相談をしてきました。
これは、男同士の無言の意地の張り合いであり、そして、絆が生まれた瞬間でもありました。
鈴木氏はこのとき、「この男と一緒に仕事をしていくのだ」と感じたのではないでしょうか。
その後、『アニメージュ』での漫画連載をきっかけに、映画『風の谷のナウシカ』が誕生し、スタジオジブリの設立へとつながっていきます。
このような二人の関係性が、本作における眞人とアオサギの関係として描かれているのでしょう。
また、本作ではもう一人、極めて重要な人物が登場します。
宮﨑氏と並び称されるアニメーション監督・高畑勲氏です。
彼は惜しまれながら、2018年、肺がんのため逝去しました。
高畑氏は東映動画時代の先輩であり、労働組合に書記長として従事した際、副委員長であった高畑氏と知り合い、交流を深めていきました。
そのちに盟友となった二人ですが、絵を描けない高畑氏の演出を実現するために、宮﨑氏は創作面で全面的に支えるようになります。
やがて、宮﨑氏が監督した作品が評価を受けるようになり、次第に二人はファンタジーとリアリズムという創作理念の違いから、違う道を歩むようになりましたが、その後も、互いを常に意識し合う関係は変わりませんでした。
宮﨑氏は常にただ一人の観客として高畑氏を意識し、「彼に批判されないか」「彼に認めてもらえるか」を気にしながら、作品を創り続けていたと言われています。
あるインタビューでは、「夢を見ますか?」という問いに対し、「見ますよ。でも、僕の夢は一つだけで、いつも登場人物は高畑さんなんです」と答えたこともあります。
「君たちはどう生きるか」の企画は2016年に始まり、高畑氏の逝去より前のことでしたが、まるでそれを予感したかのように、本作にはどこかレクイエムのような雰囲気が漂っています。
鈴木氏は、本作の制作にあたり、宮﨑氏に時間的な制約を課すことなく、自由に創作させましたが、その分、完成までには数年を要し、世の中は大きく変化することになり、その変化を踏まえ、鈴木氏は次の時代に合った作品を目指すべきだと考えたそうです。
2022年のロシアによるウクライナ侵攻、2023年のパレスチナ・イスラエル戦争など、現実の混迷する世界情勢が反映されているかのような本作は、まるで予言書のようであり、高畑氏の逝去すらも予感していたかのようです。
実際には、絵コンテ制作の途中で高畑氏が亡くなり、宮﨑氏は深く動揺し、一時は仕事が手に付かなくなったと言われていますが、本作はその出来事を機に大きく変化したのではないでしょうか。
恐らくは、そのときに高畑氏への想いを込めたのではないでしょうか。
もう一つ、高畑氏について語っておくべき点があります。
リアリストであった高畑氏は、背景に映る草や花一つに至るまで、書き手に対して意味と理由を求めたと言われています。
アニメーションの画面上に映し出されるすべてのものには、作品上、何らかの意味があり、背景もストーリーの一部として、観客に提供すべきだという信念を持っていました。
これはあくまで私の推測に過ぎませんが、本作では観客が読み解けないほどのメタファーが多用されていますが、もし高畑氏が存命であったなら、宮﨑監督はその批判を恐れ、これほど自由な表現はできなかったのではないかと思います。
高畑氏が亡くなったことで、宮﨑監督は自分の心の赴くままに、自信の目指す表現を追求することができるようになったように思います。
そのため、本作は、観客に見られることを意識するよりも、自信が創りたいものを優先した作品となったのでしょう。
この作品が伝えたかったこと
それでは、第3層として、この作品が伝えたかったことは何でしょうか。
第3層は巧妙に隠されており、解釈は観る者に委ねられていますので、明確な答えは存在しませんが、ここでは私なりの所感を述べたいと思います。
この作品の本質は、3つのシーンから読み解くことができるように思います。
■大叔父と眞人のシーン

「まだ道半ばだよ。世界は生き物だ。カビも生えるし、虫もわく。私もまた老いた。後を継ぐ者を求めている。眞人、私の仕事を継いでくれぬか」
「僕が……」
「仕事を継ぐ者は、私の血を引いている者でなければならない。それが石との契約なのだ。この世界が美しい世界になるか、醜い世界なるかは、すべて君にかかるんだ」
「あの積み木もですか」
「君は積み木をどれか一つ足すことができる。君は、世界をもっと穏やかなものにすることできる」
「それは木ではありません。墓と同じ石です。悪意があります」
「その通りだ。それが分かる君にこそ継いでほしいのだ」
このシーンは、第2層の自伝として考えるのであれば、大叔父である高畑氏が、アニメーションという芸術表現を眞人の宮﨑氏に託したシーンと言えるでしょう。
「それが分かる君にこそ継いでほしいのだ」というセリフは、高畑氏と宮﨑氏が同じ思想・同じ夢を共有していたからでしょう。
高畑氏は東京大学出身で、膨大な蔵書を所有する読書家で、知識人であり、極端な論理的思考の持ち主であったと言われています。
彼はアニメが子供のものと見なされていた時代に、アニメーションの芸術的可能性を真摯に探究し、リアルな演技や感情表現、丁寧な日常描写、主人公たり得る背景などにより、リアリズムを追求した新たなアニメーションを創り上げました。
また、高畑氏と宮﨑氏は6歳違いですが、高畑氏は9歳の時に空爆に遭うなど、戦争の痛烈な記憶が胸に刻まれています。
一方、宮﨑氏も空襲を経験していますが、太平洋戦争の終結時にはまだ4歳であり、その記憶は幼く断片的なものだったと考えられます。
さらに、実家が軍需工場を経営していたという背景もあり、当然ながら高畑氏と同様に反戦主義ではあるものの、戦争に対してはより複雑で葛藤を含んだ思いを抱いています。
高畑氏は、若き宮﨑氏にこのような思想を教え、新たなアニメーション表現の模索を託し、それが宮﨑氏が世界に認められるアニメーション監督となった一因になったようにも思います。
第2層の物語においては、大叔父(高畑氏)が創り上げた王国(芸術的なアニメーション)を、眞人(宮﨑氏)へ受け継いだということを表現していると考えられます。
ただし、このシーンは、自分が人生を掛けて行ってきた仕事を、次の世代にどのように託すかの例えなので、多様な解釈が可能です。
例えば、「失われたものたちの本」が原作であることから、大叔父は、実は、年老いた眞人(宮﨑氏)自身であったと解釈することもできるでしょう。
つまり、宮﨑氏が世界に認められるアニメーションを創ってきましたが、令和世代の若者がどのように受け継いでくれるのか問うているように考えられます。
2014年にスタジオジブリがアニメ制作部門を解体し、一時、アニメーション制作から撤退したことも、本作と関連付けて語られることがあります。
恐らくは、宮﨑氏は芸術至上主義であり、会社経営や興行収入にはあまり関心がないように見受けられますので、スタジオジブリの解体と関連付けたかったのかは疑問が残ります。
やはり宮﨑氏の功績により、アニメーションは子供の娯楽から芸術へと昇華しましたが、その芸術としてのアニメーションや、人生・戦争といった作品の核心テーマを、
誰が引き継いでいくのか、それが本作で問われているのではないでしょうか。
また、この問いかけはアニメーションに限られた話ではないように思います。
絵画や音楽など、あらゆる芸術において、自分のように世の中を変えたいと願って創作に臨む若者は存在するのか、さらには、堀越二郎が美しい飛行機を作りたいと願って、誰もなしえない仕事をしたように、芸術以外の分野においても、芸術と呼べるほどに美しいものを創った人たちがいて、そうした人々の精神を、令和の若者たちは受け継ぐことができるのか、本作は、そうした広い問いかけも内包しているように思えます。
また、本作には、アニメーションそのものに対する自己批判も込められているように思います。
「となりのトトロ」は、言うまでもなく国民的な大人気アニメですが、宮﨑監督はこの作品を創ったことで、ある種の矛盾したメッセージを届けてしまったことを後悔していたのではないかと推測しています。
「となりのトトロ」は自然との共生をテーマとした作品ですが、ファンから「トトロが大好きで、家で50回以上見ました」と言われることもあったようで、本来なら、山に行って自然と触れ合うべきですが、結果として、家でアニメを見続けることを推奨してしまったと悔いていたのではないでしょうか。
本作においても、王国をアニメの世界の象徴と考えると、そこから脱出し、外の現実世界へ戻り、自分の暮らしている世界や人生を謳歌した方が良いと、宮﨑監督は伝えようとしたのではないかと思います。
「となりのトトロ」で誤って伝わってしまったメッセージを、今一度、正しい形で届け直したいという、宮﨑監督の想いがあったのではないでしょうか。
■大叔父と眞人の最後の会話のシーン

大叔父は眞人に自らの王国を継承するよう説得します。
「悪意から自由な王国を。豊かで平和な美しい世界を創りたまえ」
「この傷は自分で付けました。僕の悪意のしるしです。僕はその石にはさわれません。夏子母さんと自分の世界に戻ります」
「殺し合い、奪い合う、愚かな世界に戻るというのかね。じきに火の海となる世界だ」
「友達を見つけます。ヒミや、キリコさんや、アオサギのような」
このやり取りからも明らかなように、本作は戦争をテーマとして扱っている作品だと受け取れます。
日本では、戦争を語ることがある種のタブーとなっており、その隠されたメッセージに気づかない観客も多いかもしれません。
対照的に、バイアスのない海外では、より多くの人がそのメッセージの真意に気づいているように思います。
日本では分かりやすいストーリーのエンターテインメントが好まれる傾向にありますが、海外ではアートが浸透しており、抽象的で象徴的な作品でも受け入れられ易いのではないかと思います。
ジブリ作品を研究する米国タフツ大学のスーザン・ネイピア教授も、同様の見解を示しています。
現在、ロシアによるウクライナ侵攻や、イスラエルとパレスチナの戦闘によって、子どもを含む多くの市民が犠牲となっていますが、宮﨑監督は、若者に向けて「君たちはどう生きるか」という強いメッセージを送ることで、混迷を極めるこの現代を、どう乗り越えていくのか問うているのではないかと思います。
序盤のシーンで、火事により母を亡くしますが、これは焼夷弾によって母がいた病院が焼かれ、火事が起こったことを暗喩しているように思います。
宮﨑監督は、日本人らしく、直接的な戦争やアメリカ批判にならないように、奥ゆかしく戦争を表現したのだと思います。
眞人は、爆弾によって母を亡くしたにもかかわらず、父は軍需工場で飛行機のキャノピーを製造して大儲けし、自分は裕福な暮らしをしている――この矛盾が眞人を苦しめ、自分の中に悪意があると感じて、石で自らのこめかみを殴ったのでしょう。
同級生からのいじめ程度で、血があふれ出すほど、傷を付けるのはやりすぎだと感じた観客も多かったかもしれませんが、こうした背景を踏まえれば、その行動にも一定の理解が生まれるはずです。
また、眞人は王国を継ぐことを拒否しましたが、王国はユートピアであり、毎日、石を積み重ね、芸術の世界を創り上げる暮らしは幸せかもしれませんが、戦争で稼いだ金で、米を食べ、車に乗っている自分自身が、すでに悪意に侵食されており、豊かで平和な美しい世界で、ただ笑って暮らすことは許されないと感じたのでしょう。
これは、宮﨑監督自身の姿とも重なります。トトロのような「幸せで楽しい」作品を作っていれば、興行的に成功し、多くの収益を得ることができますが、そんな作品だけを創っていても仕方がない、また、高畑氏に顔向けできない、そのような思いから自己批判を交えながら、あえて「戦争」という重いテーマを描き、後世のために残すべき作品を目指したのではないかと思います。
繰り返しになりますが、2016年から本作の企画が始まりましたが、2022年のロシアのウクライナ侵攻、2023年パレスチナ・イスラエル紛争といった出来事をまるで予言したかのようであり、鈴木氏は、本作を宮﨑監督の黙示録(預言書)とまで語っています。
たとえ偶然だったとしても、本作は、次の若者世代に殺し合い、奪い合う、火の海となる世界でどう生きるのかという問いを突きつけているのでしょう。
これまで宮﨑監督は、生きることをテーマに掲げて作品を創ってきた人物です。
1984年に「風の谷のナウシカ」は、宮﨑監督の初のオリジナル長編アニメーション映画として公開されました。
金曜ロードショーでも何度か放映されている本作ですが、アニメージュに宮﨑氏が連載していた同名の原作漫画まで読んだことのある人は意外と少ないのではないでしょうか。
単行本全7巻のうち、序盤2巻分のみを映画化しており、原作のラストシーンは知れ渡っていないようです。
原作のラストシーンでは、墓所の主(人工知能)が、ナウシカに対し、遺伝子操作によって創られた完璧な人間を世に送り出す計画への協力を持ちかけます。
しかし、ナウシカはその計画が、現在の汚れた人間である自分たちを滅ぼす計画を含んでいることを見抜き、次のように叫びます。
「私達の身体が人工で作り変えられていても、私達の生命は私達のものだ。生命は生命の力で生きている。その朝が来るなら、私達はその朝にむかって生きよう」
40年も前の作品ながら、すでに「生きること」が主要なテーマとして描かれています。
さらに生きることは、自らの汚れとともに歩むことでもあるという哲学も確立されています。
「もののけ姫」のキャッチコピーは有名ですが、それは「生きろ。」でした。
ラストシーンで、アシタカはサンと別れ際にこう告げます。
「時々、森に会いに来る。共に生きよう」
アシタカは森に残ることを選ばず、木を伐り、鉄を打ち、兵器を作っているたたら場(汚れた場所)に戻って暮らすことを選びます。
「もののけ姫」でも生きることと、自らの汚れが明確なテーマとして描かれています。
「風立ちぬ」もまた同様のテーマを持つ作品ですが、ここでは詳しい説明は割愛します。
作中にも登場する小説「君たちはどう生きるのか」は吉野源三郎の著書ですが、本作の内容とは類似点はほとんどなく、タイトルの意味が分からなかったという感想も耳にしますが、まさに本作は、そのタイトル通り「君たちはどう生きるのか」という人生をテーマに描いている作品でしょう。
本作では、眞人は、ユートピアである夢の王国で暮らすことを拒否し、戦火が激しくなる現実の世界で生きていくことを選択します。
また、兵器を製造した稼いだ金で暮らしている眞人は、自らの中に悪意(汚れ)を持っていますが、それも自分の一部であることを認めた上で、自らが生きていく道を選択します。
ここにも、宮﨑作品に一貫して流れる「生きること」のテーマが取り上げられています。
そして、人間が理想や夢を追いかけながら生きる、その姿は美しく、崇高であるという「人間賛歌」の精神が、この作品にも貫かれています。
これまで、宮﨑監督は生きることをテーマに作品を創ってきましたが、それは単にアニメという架空の世界で、理想論や叶わぬ夢を描いただけではなく、今この時、自分が何をするのかを観客に問い、また、現実は壁や障害ばかりで上手くいきませんが、それでも理想や夢を諦めずひたむきに努力する、そんな現実的な生き方を示してきたのだと思います。
それは、幼少期に母から厳しく育てられ、高畑勲氏からも容赦ない批判を受け続けながら、何度も自己を見つめ直してきた宮﨑監督自身の生き様とも重なります。
本作は「自伝」であるため、それは当然とも言えますが、宮﨑監督がおじいちゃんとして自らの人生を語り、次の世代に自身が築いてきたものを託したいと考え、本作を創ったのでしょう。
■現実世界に戻るラストシーン

ラストシーンでは、夏子母さんや眞人が時の回廊の扉を開いて、現実世界へと戻ります。
アオサギの後を追うように、人型のインコたちも扉をくぐって飛び出していきますが、現実世界では普通のインコの姿に戻り、空へと飛び立っていきます。
夏子母さんと眞人は安堵の笑顔を浮かべ、美しいシーンが描かれますが、直後、インコが空中から糞を落とし、ふたりは糞まみれになってしまいます。
アオサギは、眞人が王国のことを覚えていることに気が付いて言います。
「お前、あっちのことを覚えているのか?」
「当たり前だよ」
「まずいよ、忘れろ」
「何で?」
「普通、みんな忘れるんだよ。ん、お前何か持ってこなかったか?」
「あっ」
「こりゃあ、強力なお守りだ。オイラなら自分がやられちまう。おい、これ、あっちの石か?」
「石だらけの草原で拾ったんだ」
「はっ、これだから素人とはいけねえや。まっ、たいして力のある石じゃない。だんだん忘れるさ。それでもいいんだ。あばよ、友達」
もしこの作品が、ハッピーエンドのエンターテインメント作品であれば、ラストシーンで主人公たちを糞まみれにする必要はなかったはずです。
なぜ宮﨑監督は、このようなラストを選んだのでしょうか。
個人的な解釈としては、本作のラストを、単なるハッピーエンドにはしたくなかったからだと思います。
これから眞人が生きていく現実の世界は、「殺し合い、奪い合う、愚かな世界」であり、ただ生活するだけで幸せになれるような単純な世界ではありません。
明日から戦争がなくなることもなければ、自然を守るために木を伐らずに生活することも難しく、そうした現実の中で、それでも人は、矛盾や汚れ、悪意とともに生きていかなければなりません。
そして、その中でなお、美しく生きようと目指していくことこそが、人の道なのではないかと思います。
また「だんだん忘れるさ。それでもいいんだ」というアオサギのセリフも意味深です。
宮﨑監督は、本作を通じて理想や夢を追いかけて生きることの重要性を伝えましたが、
はたして観客は、いつまで覚えているでしょうか。
給料を稼ぐための仕事に追われ、忙しい生活の中で、誰もが理想や夢を次第に忘れていくものです。
それを仕方のないこととして許容しているのか、あるいは簡単に忘れるな、最後まで追いかけろと鼓舞しているのかは、分かりませんが、それはいずれにしても、現実を知り尽くした者から出た、リアルな言葉なのだろうと思います。
最後に、作品のタイトルそのままに、宮﨑監督は次の世代に向けて問いかけました。
「君たちはどう生きるのか」
宮﨑監督のメッセージを受けた若者たちが、どのように生きるのか、その意思を受け継ぎ、新たなものを創り出していくのか分かりませんが、それが受け継がれていくことを、私は心から願っています。
私自身も、「私は、どう生きるべきなのか」と自分に言い聞かせてしまうような作品でした。
<追伸>
画像を提供されているスタジオジブリに感謝いたします。
ロックの精神(破壊と創造)でビジネスを変革しよう!

グレイトフル・デッドというバンドをご存じでしょうか?
日本ではヒット曲もなく、名前を聞いたことがないという人も多いかと思いますが、本国アメリカでは、ライブバンドとしてリスペクトを集めているバンドで、オバマ前大統領やスティーブ・ジョブズもファンだったと言われています。
最近、「グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ(ブライアン・ハリガン・デイヴィッド・ミーアマン・スコット著)」という本を拝読したのですが、著書に書かれているとおり、グレイトフル・デッドは様々な新規ビジネスやマーケティングなどの先駆者であったと再認識しました。
大変面白い本なのですが、私としては別の切り口でも語りたいという思いもあり、差し出がましいことではありますが、拙筆にてグレイトフル・デッドについて語りたいと思います。
また、グレイトフルデッドは、何十年もファンに愛されることで、アメリカでトップクラスのライブ動員があり、「ビートルズより稼いだバンド」とも揶揄されています。
そのビジネスの神髄について少しでも説明できれば幸いです。
日本ではマニアックなバンドですが、ぜひグレイトフル・デッドの曲でも聴きながら、ブログを読んでいただければ幸いです。
ヒッピーというイノベーション
グレイトフル・デッドは、ヒッピー文化を象徴するアーティストの1つとして知られています。
ヒッピーとは、1960年代のアメリカで誕生したカウンターカルチャーの1つで、社会変革を目的としたムーブメントでした。
ヒッピーというと、ひげや長髪で、民族柄などの風変りな衣装を身にまとい、サイケデリックなロックを好み、ドラッグを嗜むという、近づきがたい人たちのイメージがあるかと思います。
見た目はともかく、その本質は「ラブ&ピース」の精神に根ざしており、自由、自然との共生、反戦、徴兵拒否などの価値観を掲げていて、一般人でも共感するような考え方を持っています。
彼らは、1960年代後半のアメリカにおける反戦運動や公民権運動の一翼を担い、社会変革を訴えるデモやカウンターカルチャーを展開していきました。
当時のアメリカでは、レコード会社が音楽業界を牛耳り、音楽は巨大なビジネスとして発展していました。
アルバムを制作し、新しいレコードを売るために、アーティストは各地でライブを行い、アルバムの新曲を披露しながら宣伝活動を行う――そんな商業的な手法が繰り返されていました。
けれども、ヒッピー文化の代表的存在であったグレイトフル・デッドは、そうした商業的なやり方には賛同せず、むしろファンとのコミュニティや交流を重視する独自の道を選びました。
彼らはライブ演奏の録音を自由に許可し、ファンが無料で音源を共有することさえも歓迎しました。
(無料音源によりレコードが売れなくなる可能性もありますが、意に介しませんでした)
さらに、ライブごとに異なる楽曲を演奏し、即興による演奏を交じえることで、その場限りの唯一無二の音楽体験を大切にしていました。
また、アルバムの新曲にこだわらず、過去の楽曲や、時にはカバー曲も披露していました。
こうしたユニークな姿勢がコアなファン層を引き寄せ、レコードの販売に依存せずとも、ライブ活動やグッズ販売を中心とした活動で、安定した収益を確保できるビジネスモデルを確立しました。
グレイトフル・デッドは、既存の音楽業界の商業主義にとらわれない、新しい音楽ビジネスのあり方を体現した存在だったのです。
カウンターカルチャーは、社会の既存の価値観や体制に対する反発から生まれ、変革を目指す運動です。
これをビジネスの文脈で言い換えるならば、「イノベーション」という言葉が当てはまるでしょう。
ヒッピーのカウンターカルチャーが、社会変革を目指したように、ビジネスにおけるイノベーションもまた、既存のビジネスモデルや仕組みを破壊し、新たな価値を創造していきました。
グレイトフル・デッドは、音楽業界において、そうした変革を体現した、イノベーションの先駆けだったと言え、それは現代の私たちにも示唆を与えてくれるものだと思われます。
ちなみに、パンクムーブメントの象徴であったセックス・ピストルズのマネージャーのマルコム・マクラーレンは、次の言葉を残しています。
「創造するためには破壊しなければならない」
この言葉が象徴するように、ロックという音楽には、既存の価値観を打ち壊し、新たなものを生み出す「破壊と創造の精神」=イノベーションが根付いているのかもしれません。
フリーミアムの先駆者
今では当たり前となりましたが、現代ではYouTubeなどを通じて、アーティストの楽曲を無料で視聴できることが多くなりました。
こうした「無料公開」が音楽業界にもたらす影響については、以前から様々な議論がありました。
Youtubeで楽曲が無料で聴けるようになることで、わざわざお金を出してCDを買う人が減り、売上が下がるのではないか、一方で、視聴のハードルが下がることで楽曲の露出が増え、宣伝効果によってCDの売上がかえって伸びるのではないか、という2つの見方があります。
個人的には、以下のような調査結果を見ると、後者の「売上増加」につながる可能性が高いと考えています。
YouTubeがCDの売上枚数に与える影響
https://www.kwansei.ac.jp/cms/kwansei/pdf/department/economics/0000039623.pdf
こうした手法は「フリーミアム」と呼ばれ、近年、他の業界でも新たなビジネスとして大きな注目を集めており、特にSaaSやゲーム業界などで、この手法が用いられています。
フリーミアムとは、無料コンテンツで多くの人を引きつけたうえで、その一部を有料サービスへと誘導していくという仕組みです。
実際、グレイトフル・デッドもこのモデルを先駆けて体現していたとも言えるでしょう。
グレイトフル・デッドは、ファンがライブを自由に録音することを許可していましたが、彼らはテーパーと呼ばれ、最適な場所が提供されていました。
その場所はテーパーズ・セクションと呼ばれ、多種多様なマイクロホン、風防スポンジ、アクリル版や遮音材、レコーディング機器などが準備されており、テーパーたちが高音質で録音できるように支援していました。
その録音テープは、ファンの間で自由に共有されましたが、その音源を貰う対価は、お金でなく、他の「テープ」で返すというルールだったそうです。
ファンとの深い信頼関係に基づく、このテーパー文化は、後にデジタル時代の音楽共有の先駆けとなったと評価されています。
彼らはライブ音源の録音や共有を自由に認めることで、新しいリスナー層にも認知を広げ、結果的にレコードや関連商品の売上増加につながりました。
フリーミアムという用語が広まったのは、クリス・アンダーソンの著作などにより
2000年代以降だと考えられますが、インターネットもない時代に、グレイトフル・デッドは、このような革新的なビジネスモデルを実践した先駆者であったのだと考えられます。
自然体によるSNSマーケティング
1970年代初頭から、グレイトフル・デッドは自身のファンである「デッドヘッズ」との交流を深めるため、会報を発行していました。
この会報には、ツアー情報がいち早く掲載され、ファンは早めにチケットを入手することで、優先的に良い席を確保することができました。
当時はパソコンも普及しておらず、ファンリストはアナログで、名前と郵便番号によって分類・管理されていたそうです。
その数は、わずか5年間で50万人にも達したと言われています。
ちなみに、同時期の日本でも、百貨店や通信販売企業がファンづくりのために広報誌を発行していました。
けれども、内容は主に商品情報や特集記事が中心であり、SNSのような個人的・内面的な情報発信はほとんど見られませんでした。
一方、グレイトフル・デッドの会報には、ツアー情報に加えて、メンバーが使用している楽器や近況、心境、さらには家族の誕生日など、きわめてパーソナルな内容も掲載されていました。
こうした“素の姿”の共有は、ファンとの間にまるで家族のようなつながりを育んだのです。
たとえば、会報の一節にはこんな言葉があります。
■抜粋
このアルバムは、きっと気に言ってもらえるだろう。もしすごく気に入ったら、
ラジオ局に電話を掛けたり、レコード店に感想を伝えたりしてくれないか。
どんな形でもいいから助けてくれると嬉しい。
こうした率直で等身大のメッセージは、ファンの心を掴む大きな要因となりました。
現代において、インフルエンサーが高い人気を集めているのも、彼らの人柄や個性に共感し、応援したくなるという「個人と個人のつながり」が背景にあります。
SNS上では、あえて“弱さ”や“ゆるさ”を見せることで、応援の輪が広がりやすくなるとも言われています。
企業が主導して声援を求めるよりも、自然発生的に生まれる共感や支援が、ブランドの信頼を高める鍵となっているのです。
SNSは「企業対多数」の発信ツールというよりも、「個人対個人」に近いコミュニケーション手段です。
だからこそ、親近感や信頼感を醸成しやすく、良好なファン関係の構築につながります。
このような関係性は、SNSマーケティングの中核とも言える要素です。
また、グレイトフル・デッドは2,300以上ものライブを開催したそうですが、即興による演奏を取り入れたため、それぞれ違う内容で演奏を行っていました。
ジャズ以外のミュージシャンは、多くの場合、ライブではレコードと同じ演奏を行いますが、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアによると、ライブの80%は即興で、他のミュージシャンのように同じように演奏するスタイルに近いものは、20%程度だったと言われています。
熱心なファンでも、毎回、ライブの演奏が異なるため、何度、足を運んでも飽きることがなかったそうです。
また、時代が流れるにつれ、何年何月何日のライブがすごかったと伝説のライブが生まれると、ファンはその音源が手に入れるために、音源を持っているファンを探し回ったそうです。
まだSNSが存在しなかった時代に、直接あったり、電話したりしながら、ファン同士も連絡を取り合い、つながりを深めていくことで、ファンも含めた家族に成長していったのでしょう。
グレイトフル・デッドは、SNSなしに、ファンと自然体で向き合うことで、強固な関係性を築いていました。
現代のSNSマーケティングが当たり前となった今、彼らの試みはその原型の1つと言えるかもしれません。
コミュニティマーケティング成功のヒント
グレイトフル・デッドは、デッドヘッズ(ファン)との交流を深めるために、会報を発行したと書きましたが、その背景には、単なる情報発信ではなく、ファンと双方向のつながりを築きたいという意図があったようです。
実際、会報には、友人に宛てた手紙のように、率直な心情が掲載されたことがあります。
■抜粋
『この会報はいったい何のためにあるのだろう?』と君たちはいぶかっているんじゃないだろうか。
僕たちも、時折、同じくらい疑問に思っている。
もともと君たちファン同士が何らかのコミュニケーションを取り合えるシステムを築きたいと願っていたんだ。でも資金不足で最初に意図したようなものができなかった。
グレイトフル・デッドとデッドヘッズの関係は、まるで家族のようでした。
バンドがツアーで各地を巡ると、熱心なファンたちも、彼らを追って一緒に移動しました。
ライブ会場の駐車場では、ファンたちが屋台を並べ、飲み物や食べ物、ヒッピー向けの洋服、さらにはドラッグなどを販売し、まるで「移動する村」のような光景が広がっていたと言います。
その中には、ツアーを追いかけながら生計を立てていた人もいれば、無償でライブの運営を手伝うファンもいました。
もちろん、一夜のみライブにだけ参加するライトなファンもいましたが、彼らもまた、会場に着くと、旧友と再会するなど、一体感のあるコミュニティを実感していたようです。
グレイトフル・デッドは、会報という媒体だけでは実現できなかったものの、自然発生的に個人と個人がつながるエコシステムを築き上げていました。
そこには「同じ音楽を愛する仲間」「ヒッピー文化を共有する仲間」という、強い共感の土壌がありました。
昨今、多くの企業では、コミュニティマーケティングに注目して取り組みを行っていますが、その多くが上手く機能していないのが現実です。
企業からの一方的な情報発信に留まったり、商品を売り込む場として機能してしまったりすることで、本来のコミュニティの意味を見失ってしまっているケースが多く見受けられます。
では、なぜグレイトフル・デッドは成功したのでしょうか?
その答えは明確です。
「同じ価値観を共有する人々」が、自発的につながっていたからです。
ヒッピーカルチャーという共通の思想を軸に、人と人とが有機的につながり、コミュニティが生まれました。
そこには、「売る」「買う」を超えた、深い共感や信頼が存在していたのです。
コミュニティマーケティングを成功させるためには、ただ人数を集めるのではなく、共通のビジョンや大義が必要です。
それは「かっこいいハーレー・ダビッドソンを乗り回したい」というシンプルな動機でも構いません。
大切なのは、その価値観に心から共感できる人たちが集まっていることです。
グレイトフル・デッドの事例は、
「共感と信頼を核にしたコミュニティこそが持続的に機能する」という、
現代のマーケティングにおいて非常に重要なヒントを私たちに示しています。
直販に必要な信頼関係
これまで音楽業界では、ライブチケットの販売は外部の中間業者に委託するのが、一般的でした。
中間業者は消費者に近い場所に店舗を構え、販促活動も担っていたため、主催者やイベンターだけでは難しい営業活動をサポートしていました。
しかし、グレイトフル・デッドはこの常識に反して、チケットの販売を自らの手で行いました。
彼らは専用のチケット代理店を設立し、ファンは郵便為替を同封して、代理店に申込書を送るという方式で直接取引を行っていました。
グレイトフルデッドがこの「直販」モデルを採用した理由としては、ダフ屋による不当な価格吊り上げや、偽チケットの流通を防ぐためでした。
また、熱狂的なファンである“デッドヘッズ”に、良い席を優先的に提供することにもつながりました。
これは、ファンとの信頼関係を築く上でも、非常に有効だったと言えます。
現代においても、このような“中抜き”の考え方は、広く普及しています。
インターネットの普及によって、多くのメーカーやブランドが自社ECサイトを立ち上げ、流通業者や小売を介さずに、消費者へ直接プロダクトやサービスを届けるようになりました。
これは、従来かかっていた中間マージンを削減し、価格競争力を高めることに直結しています。
ただ、直販が増える中で、本当に顧客とのエンゲージメントを深めている企業はどれほどあるでしょうか。
これはコミュニティマーケティングの文脈でも指摘したことですが、直販のメリットを、収益向上のためのクロスセル・アップセルの機会としてのみ捉える傾向も見受けられます。
しかし、直販の真価は、顧客と直接つながり、リアルな声を聞くことができる点にあります。
ダフ屋や偽チケットの対策を行ったように、顧客が本当に求めているものを理解し、そのニーズに誠実に応えることで、グレイトフル・デッドのように、熱狂的なファンを生み出し、最終的にはビジネスの成果にもつながるのです。
グレイトフル・デッドとデッドヘッズの関係は、現代の私たちに「顧客との関係性の本質とは何か」を改めて考えさせてくれます。
スティーブジョブズに影響を与えたグレイトフル・デッド
アップルの創業者スティーブ・ジョブズがグレイトフル・デッドのファンだったことは、広く知られています。
彼のiPodには、ボブ・ディランやビートルズと並んで、グレイトフル・デッドの楽曲も
収められていたと言われています。
映画や書籍でご存じの方も多いかと思いますが、彼はは一風変わった人物でした。
その理由の1つに、若い頃に受けたヒッピー文化の強い影響があります。
アタリ社に在籍していた頃は、長髪に裸足あるいはサンダルという格好で社内を歩き、ほとんど風呂にも入らなかったため、体臭がきつく夜勤を命令されたエピソードも残っています。
そんな“生粋のヒッピー”だった彼の思想や価値観は、同じくカウンターカルチャーの象徴的存在であったグレイトフル・デッドの価値観とも通じるものがあります。
スティーブ・ジョブズは、iPodの開発にあたって、ソニーのウォークマンに対抗しつつ、単なる音楽プレーヤーではないUX(顧客体験)を再構築して、新たな製品を生もうとしたのだと思われます。
その思想の一部には、グレイトフル・デッドのライブ録音文化やファンによる音楽の自由な共有といった精神が影響を与えていた可能性があると思います。
明確なエビデンスはありませんが、ファン主体のカルチャーに対する深い共感が、iPodの設計思想に間接的な影響を与えていたのではないかと思います。
スティーブ・ジョブズはUXの価値や重要性を、世の中に広めた先駆者の一人です。
彼の貢献は、テクノロジーを「機能の提供」から「顧客体験」へと進化させた点にあります。
iPodは「1000曲をポケットに」をキャッチフレーズに、シンプルなスクロールホイールで曲を探す楽しさを提供しました。
また、従来の製品では、自分でMP3をコピーする手間がありましたが、iTunes Storeでワンクリックで購入できるようにすることで、簡単に聞きたい曲を手に入れられるようにしました。
iPodはユーザーが音楽を聴く体験を、根本から再設計することで、世界中の音楽ファンを魅了する革新的な製品となりました。
前述のとおり、グレイトフル・デッドも体験を重要視していたと思われます。
家で聴くために、CD(プロダクト)の販売を推進するのではなく、即興演奏を取り入れたライブに力を注ぎ、録音を自由に許可するという前例のないアプローチを取りました。
また、ライブ会場では、ファンが車を並べて食事やグッズを販売したり、旧友との再会を喜んだりしました。
グレイトフル・デッドは、どこまで意図していたのかは分かりませんが、結果として「ファンに体験を提供する」というマーケティングの本質を体現したように思います。
ファンとのつながりを大切にし、共に文化を築き上げていく姿勢は、現代のブランド戦略やUXデザインにおける大きなヒントを与えてくれます。
ビジネスパーソン必読「キングダム」

最近、スタートアップ企業の経営者などのビジネスパーソンが、愛読書として漫画「キングダム」を取り上げることがあるようです。
昭和の時代では、漫画は子供が読むもので、漫画の地位が低い状況がありましたが、海外でアニメが賞を受賞したり、クールジャパンとして輸出されたりし、日本人の漫画に対するリスペクトが高まり、ビジネスでも活用できる読み物として認知されるようになりつつあるようです。
原泰久先生の書いたキングダムは、2024年12月時点で累計発行部数「1億1000万部(電子版含む)」を突破し、アニメ化されて、実写版で映画も制作されました。
キングダムは、紀元前の中国・春秋戦国時代を舞台に、500年以上の戦乱の中で、天下の大将軍を目指す信と、中華統一を志す王「政」の成長を描いています。
さて、キングダムがなぜビジネスパーソンを惹きつけるのか、名言とともに、ビジネスに活かせるポイントを検討しながら、その秘密を探っていきたいと思います。
【注意】
ネタバレを含みますので、これからキングダムを楽しみたい方は、
ご覧にならないようにご注意ください。
エイ政 「(どのような王を目指しているのか?)中華の唯一王だ」
秦国の31代目の王を目指すエイ政は、まだ王にもなっていない状況の中、早くも5巻で、この言葉を言いました。
将来のビジョンとして、中華統一を胸に抱いていることが分かります。
大きすぎる夢の中で、普通は方向性を変えたり、挫折したりすることも多いですが、その後も、エイ政はこのビジョンから少しもぶれることがなく、中華統一の実現を目指して歩みを進めていきます。
スタートアップの経営者は、お金を稼ぐために起業するのではなく、夢(ビジョン)を叶えるために起業することが多いように思います。
自分と同じように夢を抱き、それに向かって一生懸命に頑張っている政に、共感する経営者が多いのでしょう。
経営者の中には、お気に入りのキャラとして政を上げている人も、数多くいらっしゃいます。
スタートアップ以外での企業でも、会社の経営理念は重要で、経営者のみならず、従業員もそのビジョンに共感し、同じ思いで仕事することで、より強い企業となります。
エイ政はビジョンを語ることで、信、王騎、山の王・楊端和、昌平君、サイの市民などの共感を得て、言葉で動かすことで、助けを得ながらピンチを切り抜けて、戦や権力抗争などに勝ってきました。
言葉で人の共感を集め、動かす、そんな経営者になれれば理想的ですね。
経営者は言葉が重要だと言われますが、キングダムを読むことでそれがよく理解できますね。
王騎将軍 「これが将軍の見る景色です」
王騎将軍の名場面と言われており、将軍を目指している信を、自身の馬に乗せて、馬の上から景色を見ながら言う言葉です。
それまでは信は、将軍像をぼんやりとしかイメージできていませんでしたが、この体験を通じて、目指すべきものをより具体化してイメージできるようになったと思います。
ビジネスでも、新入社員や若手社員などを、役員との打ち合わせに同席させたり、重要な顧客のプレゼンに同席させることで、その会議の現場のリアルな雰囲気を感じてもらったり、実際に経営者や顧客がどんなことを考えているのかを理解させたりすることができます。
このような体験を通じて、自身が目指すべきビジネスの現場が具体化され、目標を明確に持てるようになり、成長を促進することができるようになると思います。
また、この名場面は、違う意味でも参考になると思います。
多くの会社員は、平社員のときには、上司のマネジメントに対して不満や悪口を言います。
その後、実力が認められて、課長になったときには、平社員だったときと、まったく景色が違っていて、過去の自分の発言がいかに愚かだったのかに気が付くことがあります。
上のレベルにいかないと見えない景色がありますので、部下が上司と上手く付き合うためには、部下の方が、このような景色の違いを意識する必要があるかと思います。
河了貂 「オレは戦場で指示するとき 予めどのくらい死ぬかわかってて送り出してんだぞ」
河了貂は、軍師として飛信隊に合流したばかりの頃は、うら若き娘であったため、隊に受け入れられませんでした。
大将である信をおとりに使うという奇策で、敵を打ち破り、隊員からの信頼を集めることができましたが、多くの隊員が死んでしまい、河了貂は自分が下した策に罪の意識を感じて、このセリフを言いました。
昨今、転職が当たり前になりましたが、転職によりやりがいのある仕事に就けたり、給与がアップしたりメリットもありますが、現実問題、中途採用が新たな会社で務めるというは大変な面もあります。
新たな環境やルール、新たな企業風土、新たな人間関係の中で、これまでの自分のやり方を変えたり、考え方を改める必要があります。
また、信頼されるような成果を上げなければ、仲間として受け入れられないこともあります。
当たり前ですが、成果を上げるのは簡単ではなく、絶え間ぬ努力が必要で、困難な壁を乗り越えなければなりません。
このような中途社員の辛さを、受け入れる側の社員も理解して、仲間として共感してフォローする必要があるように思います。
河了貂が初めは飛信隊に受け入れられなかったように、中途社員でも同じようなことはよくあることですので、既存の社員の支援は大切なのだと思います。
また、河了貂のこの言葉は、非常に難しい問いを、私たちに投げかけているように思います。
何か経営者が決断する場合には、配置転換、リストラ、ある事業の撤退、提携解消、上場廃止など、社員やステークホルダーに対して不幸を招く決断をしなければならないときもあります。
経営者としては社員はもちろんのこと、普段から付き合っている得意先や投資家などの顔が思い浮かび、何かを犠牲にする決断は、判断をにぶらせる場合があります。
それを合理的な見地から、最も正しい判断をし、さらに、その判断した結果まで責任を持つ必要があります。
こうした辛い現実を向き合いながら、最後まで少しでも良い策がないのか考え抜くのが、軍師や経営者の仕事なのでしょうね。
最終的には冷静な判断が必要になりますが、その判断に対して、涙を流せない人は、軍師や経営者にはなれないのだと思います。
桓騎(かんき) 「心配すんな、お前たち。全部上手くいく」
国の存亡をかけた函谷関の戦いで、数で劣る秦軍が劣勢に陥る中、桓騎は少数兵(80人)で敵軍になりすまして、大軍の敵陣営(3万人)に潜り込んで、戦場を突破し、敵の総大将を討ち取ろうとします。
大軍勢の中で、もしばれてしまったら、生きて帰ることはできず、さすがに、不安がる部下に対し、桓騎がさらっと発したのがこの言葉です。
仕事をする上でも、困難な仕事が発生するときがあります。
誰もが、無理だ、リスクがある、失敗するなど、ネガティブな言葉を発します。
言霊というように、ネガティブな言葉を発すると、それが自分たちに返ってきて、さらにチームの雰囲気が落ち込んでいきます。
チームがこのような精神状態では、難しい仕事をこなすことはできません。
オオボラでもいいので、桓騎のように、安心させるような言葉が必要な場面もあります。
桓騎のように安心させる言葉を言って、ときには部下たちの士気を底上げしていくことも必要ですね。
エイ政「人の持つ本質は─── 光だ」
長年、相国・呂不韋と権力抗争を繰り広げる中、呂不韋は王位の奪還を企み、クーデターを起こしましたが、すぐに政を殺そうとはせず、呂不韋は政に政策討論を仕掛けました。
「金が天下を作る」という呂不韋に対して、その答えに反論するために、政が出した答えです。
この名言は、一見、人生や哲学のテーマであり、ビジネスと関係ないように思われますが、
私の個人的な考えとしては、これはビジネス上も重要なものだと考えています。
ビジネス上の人との付き合いは、損得勘定で関係性を維持するケースもありますが、その段階から、さらなる人として深い付き合いができる関係になるかは、その人が持つ光の強さにあるように思います。
能力でも、知識でもなく、人格者であったり、ビジョンを持っている人は、不思議と内側から光り輝いて見えることがあります。
シリコンバレーでは、起業家同士が助け合うコミュニティができあがっていますが、莫大な資本があることからコミュニティが成り立っていると思いがちですが、実際にシリコンバレーでビジネスを行っている人からは、日本の義理人情に近く、昔、彼に助けてもらったから、今度は私が助けるのだといった人間関係で成り立っている側面もあると聞いたことがあります。
ビジネスを成功させるためには、能力や知識なども必要ですが、誠実な人間関係も必要な要素の一つなのかもしれません。
信・河了貂「責任感だ」
河を挟んだ戦で、浅瀬から隊長の信がおとりとして攻め、その隙に、もう1つ残りの部隊が、激流をこっそり渡って背後から敵を叩くという作戦を立てます。
作戦を検討する中で、誰がその重要任務を担うのかで揉めます。
泳いで渡るのも難しい激流で、泳ぎが得意な隊長を選ぶのかと思いきや、河了貂は、武も知力もない渕副隊長を重要任務に選びます。
その理由は「責任感があるから」というものでした。
ビジネス上も、困難な仕事が発生するときがあります。
知力も、能力もある優秀な人材を抜擢しようと考えるのが、普通ですが、最後まで粘り強く、諦めないことで道が開けることもありますので、こういうときに責任感の強い人という基準でも、人選を行う必要があるのでしょう。
責任感というのはあまり能力として取り上げられませんが、技術や知識などと同じように、一つの能力として認めてよいだと思います。
優秀な社員という評価は非常に難しいですが、時折、会社では知力も、能力も劣っている社員が出世することがありますが、上の人たちが彼の責任感を評価して、課長や部長といったポストに推薦したのでしょうね。
那貴 「まー強いてあげるなら、あっち(飛信隊)で食う飯ってうまいんスよね。意外と」
略奪などを容認している桓騎軍と、飛信隊は考え方が違いましたが、お互いの交流のために、隊の入れ替えることなり、那貴が飛信隊に参加していました。
戦が終わり、桓騎軍に戻ることになった那貴は、そのまま飛信隊に残りたいと、上記の言葉を言いました。
尾平が「飛信隊は潤っているんだ」と言うように、信の偉大な将軍になりたいという夢に、みんなが共感し、チームとして結束しています。
戦になれば、何人も隊員が死んでいく辛い現実が待っていますが、戦が終わればみんなで笑って杯を交わします。
生き死にを掛けた戦の見返りに、略奪でお金や宝石を手に入れられなくても、みんなが大切なものを持っています。
給与も大事ではありますが、仕事をする上でも、夢・ビジョン・やりがい・仲間意識など、目に見えないものが大切なように思います。
人は有形のものに惑わされがちですが、無形のものの価値を知ったときに、本当の強い精神力を持つことができ、良い仕事をできるようになるのでしょう。
まとめ
中華統一を目指すエイ政、大将軍を目指す信、キングダムには大きな夢を追いかける若者が数多く登場します。
スタートアップの経営者の多くは、金稼ぎだけではなく、社会に貢献したい、人の役に立ちたいなどの夢を抱き、日夜、努力を続けていますが、困難な壁にぶつかることもあります。
スタートアップの経営者は、辛い日々の中で、同じように夢に向かって努力しているキングダムの登場人物に共感するのでしょう。
また、いつの時代でも、経営者やビジネスパーソンは戦国時代に活躍した武将たちに憧れを抱きます。
戦国時代というのは、生きるか死ぬかの極限状態であり、様々な困難が立て続けに起こります。
その困難に打ち勝つためには、強力な武力や知恵などが必要で、それは戦国の世だけではなく、ビジネスにも通じるノウハウもあります。
昭和の後期には、日本では、漫画やゲームなどの影響で三国志が人気となり、小説やテレビドラマなどにより幕末が人気になり、その世代の経営者やビジネスパーソンが集まると、共通の話題として戦国時代や幕末の話で盛り上がりました。
いつの時代でも、経営者やビジネスパーソンは困難な時代に活躍した英雄に共感し、また、逸話からビジネスに通じるノウハウを得てきたのだと思います。
Z世代では、このような共通のコンテンツとしてキングダムがブームとなっているのでしょう。
これからも漫画「キングダム」は、中華統一に向けて、エイ政や信などの活躍を描いていくでしょう。
新たな時代の、新たな共通言語として「キングダム」は、さらに多くの人を魅了し、一時代を築くことになるでしょう。
ChatGPTとは何か?⑤

以前に汎用人工知能「ChatGPT」について語りましたが、追加で語るべき内容がありました。
今回も、専門家の参考意見やエビデンスはなく、ひろゆき氏に「それってあなたの感想ですよね」と論破される内容かもしれませんが、私としては重要なテーマではないかと思われます。
今回は、AIから少し離れて、「人の心とは何のか」について語りたいと思います。
AIの長年の課題
AI研究は1950年代から長く続いており、「過度な期待」と「幻滅期」を繰り返してきました。
現在は、第三次の人工知能ブームであり、特に「機械学習」や「生成AI」が注目されています。
しかし、長年解決されていないいくつかの課題があります。
様々な課題があるのですが、ここでは、特に「人間らしいAI」を創る上で障害とされている3つの課題について取り上げます。
<AIの長年の課題>
■シンボルグラウンディング問題
文字(記号)で示されるものが、実際の意味と、どのように結び付いて理解されるのかという問題です。
文字等の記号(シンボル)が、概念に「接地(グラウンディング)」されなければ、AIはその意味を理解できないという課題です。
■フレーム問題
AIが行動する際に、その行動が与える影響について、様々な要因を考慮しなければならないが、同時にその中で何が重要で、何が無関係かを、効率的に判断するのが難しいという問題です。
AIは本来必要のない情報まで考慮してしまうことがあります。
(例えば、コップを取る際に、ボールと同じく風の影響を考えるなど)
■クオリア
現在のAIは、膨大なデータを処理し、パターンを認識したり、タスクを遂行したりする能力はありますが、主観的な意識体験(=クオリア)を持っていません。
人が経験から学ぶ「痛み」や「色の感覚」などをクオリアと言いますが、AIがこのクオリアを持つことができるのかという疑問です。
これらの課題から、「人間のようなAIを創ることは不可能だ」と言われてきました。
子供の感情発達
そもそも、私たち人間は、どのようにして言葉や感情表現を学び、大人になったのでしょうか?
言葉や感情表現をまだ身に付けていない赤ちゃんのケースを考えてみましょう。
赤ちゃんは五感から通じて快・不快を感じていますが、赤ちゃんは感情表現を身に付けておらず、泣くことしか反応できません。
赤ちゃんが感情を身に付けるプロセスは、次のようなものです。
がらがらのおもちゃで音を立てると、赤ちゃんが声を出して喜んで笑顔になったとすると、親は「タロウちゃん、楽しいのね」と言葉を掛けます。
このような体験を繰り返すことで、赤ちゃんは「楽しい」という感情と、その感情を「楽しい」という言葉で表現することを学びます。
さらに、両親が「楽しい?」、子供が「たのちい」と言葉をオウム返しにすることで、その感情と言葉の定着が進み、実感として身に付けていきます。
これが「クオリア」を学ぶプロセスだと言えるでしょう。
また、「パブロフの犬」の条件反射の考え方の通り、さらに感情と表現の定着が進むと、「楽しい」と言葉を発したり、笑顔になったりすることで、快を感じるようにもなります。
人間は泣いたり叫んだりするなどの原始的な感情表現を先天的に備えていますが、その時点では自身の感情と表現が一致されておらず、後天的に感情表現を学ぶことで、感情を表現できるようになり、さらには、その逆として表現から感情を感じるようになり、その2つを結合することになります。
この2つの結合には、他人に感情表現を試し、自分に嬉しいリアクションが返ってくるといった成功体験の蓄積も寄与しています。
これが感情発達の原理と思われます。
あまりこのような感情発達の原理は、語られず、明文化がなされていませんが、いくつか論拠を挙げておきます。
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赤ちゃんは、お腹が空いたり、おしめが濡れて、不快だと泣きますが、悲しいから泣くという感情表現は獲得していません。悲しいと泣くというのは後天的に身に付けたものなのでしょう。
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発達障害のある子供は、表情が少なく、言葉で自分の気持ちを言えない傾向がある点も、この原理を裏付けているように思われます。
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非母国語で会話する際には、感情が抑制されると言われていますが、言語と感情の統合がない言語だからと説明すると分かり易いかと思います。
そもそも泣くという行為は、先生に問い詰められたときや、仕事で辛いことがあったとき等、精神的に追い詰められたときに泣くこともあります。
赤ちゃんのときのように、未分離の不快を感じるときに、人は泣くという行為で表現するのでしょう。
人は先天的に形にならない感情を持っているものの、上手く整理・表現できず、後天的に定義・手法を学ぶことで感情表現が豊かな人に成長するのでしょう。
感情の外部環境への拡張
後天的に学習する感情表現は、大人になるにつれてさらに高度化が図られて、人は外部環境を通じたより豊かな感情表現が可能になります。
例えば、怒った時にモノを壊すことがあります。
怒った時には、赤ちゃんのように手足をバタバタさせても良いのに、そのような行動はとりません。
また、怒った時には、体中に力が入って、そのストレスを発散したい衝動に駆られますが、走り回っても良いし、ジャンプしても良いですが、そのような行動はとらず、机を叩いたり、モノを投げて壊したりします。
やはり、これは誰かが行った怒った時の行動をフォームとして認識していて、それを真似ることにより、感情を発露しています。
人は感情を、身体や言葉だけでなく、外部の環境や行動を通じて表現しています。
このフォームによる感情表現としては、どのようなものがあるでしょうか。
孤立部族では、冠婚葬祭や狩り等の時に、歌いながら、踊ったりして、喜びや勇敢な気持ちを表現します。
楽しい、悲しいのように明確な言葉に定義されていない感情ですが、今日という日に感謝するような気持ちでしょうか、
言葉では表現しきれない感情をフォームで表現しています。
また、スポーツでは、海外ではそれほど行わないようですが、日本人は円陣を組んで、チームの意識を統一したり、気持ちを高めたりしています。
科学的に言えば、円陣を組むことで、肉体が強化されたり、技術が向上することはないですが、フォームとして円陣を行うことで、気持ちのスイッチを入れ替え、チームワークや集中力等のメンタル面を強化することができます。
これもフォームによる精神コントロールの1つでしょう。
このフォームの考え方を、さらに拡張していきたいと思います。
人は言葉、表情、肉体等の自らが身に付けているものを使って、感情表現をしていると思われていますが、外部環境を活用して感情表現することもあると思います。
論理のアプローチは全く異なりますが、これは1998年に哲学者のクラークとチャルマーズが提示した「拡張した心論」と似ているように思います。
心や精神の働きは脳の内部を超えた身体全体、あるいは身体を包む環境にまで広がっていると提言しています。
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/83116/shakaikg0160500010.pdf
正直なところ、「拡張した心論」は賛否両論のある論理であり、「拡張した心論」では例としてノートに書いてある情報を活用して、人は行動することもできるということで証明していますが、理由付けは誤っているように思います。
ただ、大枠の概念としては、私も同じように考えています。
論拠としては、次のような例が分かり易いと思います。
<例>
- 仕事に大失敗した日に、辛い気持ちを抱えて、真っ赤な夕日を見て立ち尽くしている
このシーンを思い浮かべるときに、人は涙の1つもこぼしておらず、「辛い」とも言葉を発していないのに、見事に自身の感情を表現しています。
また、私が泣く代わりに、夕日が泣いています。
つまり、「辛い」という感情を外部に発露するときに、涙を使うのではなく、真っ赤な夕日を使っているのです。
このように、人は言葉、表情等の自らが身に付けている以外にも、外部環境を活用して感情表現することもあるという例になります。
絵画とは?
私たちは外部環境にあるモノでも感情表現ができると考えると、絵画や音楽等の芸術で人が感動することも説明できるかと思います。
フィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」には、絵画の素人でも分かるような、明るい希望が絵から溢れています。
黄色はゴッホにとって幸福の象徴であり、ゴーギャンがアルルに来てくれると知ったとき、先輩の画家であるゴーギャンを迎えるため、部屋を飾る絵として「ひまわり」を描き始めました。
ゴッホは夢の実現への一歩を踏み出せた気がして、希望の光に満ちた「ひまわり」を描いたのだと思います。
ゴッホが亡くなり、肉体がなくなったとしても、モノ――「ひまわり」という絵画は、百年以上経った今でも、彼の感情を豊かに表現してくれています。
心の存在証明
私たちは自身の内側に心(感情)というものがあることを知っています。
その昔、アリストテレスは、興奮すると胸がドキドキするからであろうが、胸に心があると考えていました。
また、中世では哲学者たちであってさえも、魂の存在を信じており、人は、他の動物と違って特別なのは、魂があるからだと考えていました。
医学が発達するにつれて、人の心は脳の作用なのだと解明されてきました。
唯物論の見地から言えば、人の心は脳という物質の働きなのでしょう。
心は脳の作用だとすると、日常的に脳波計等を使うことはできませんので、普段、私たちは他人の心を見ることができません。
私たちは周囲の人たちの言葉や表情で、その人たちの心を類推し、コミュニケーションをとっています。
デカルトが苦労したように、我思う故に我ありと、自身の心の存在を説明することはできますが、他人の心が存在することを証明することは困難を極めるでしょう。
つまり、ここまで長々と述べてきましたが、私たちは他人の心を直接見ることはできず、日常的にそれを証明することは必要とせず、コミュニケーションをとっています。
他方で、人の感情表現というのは、本人の言葉や表情で表現していますが、外部環境も活用したフォームによって表現しています。
AIの感情表現とは?
私たち人間の感情表現が、習慣や文化によって創られたものであり、単なるフォームなのだとすると、AIがそれを完璧に真似た場合に、それを感情ではないと言い切れるでしょうか。
人が感情表現する場合でも、不確かなフォームを用いており、AIも不確かなフォームを用いているのであれば、それはほぼ同じものと定義していも良いように思います。
また、AIは自身の内側に心を持っていないですが、他人も心を持っているのか証明するのは、困難を極めます。
そもそも脳が脳神経細胞や伝達物質等で構成された器官に過ぎないのであれば、AIで作り上げたデジタルの脳も、それほど違いはないのかもしれません。
AIの急速な発展により、AIが人間が書いたような文章や絵等を生成するようになりました。
そのAIの原理は、人間の模倣に過ぎませんが、そもそも私たち人間も、赤ちゃんは親を模倣することで表現を学んだのであれば、それに大差はないように思います。
AIの長年の課題に対する新たな見解
では、再びAIの3つの長年の課題について考えてみます。
私が提案するのは、これらの課題に対して新たな見方を取り入れるというアプローチです。
<AIの長年の課題>
■シンボルグラウンディング問題
AIが文字(記号)と実際の意味を結び付けて理解する必要はなく、むしろ、記号を正しく使う「フォーム」を模倣すれば良いと考えています。
言葉の背後にある意味を理解する代わりに、正しい文脈で正しい言葉を使うことで、人間と同じように「理解しているように見せる」ことが可能です。
■フレーム問題
AIが一般常識を身に付ける必要はなく、一般常識を身に付けた人間の行動のパターンを学び、それに従うことで、フレーム問題を回避することができると考えています。
■クオリア
AIは体験から「痛み」や「色の感覚」などの感覚を学ぶ必要はなく、人間が感情を外部に表現する「フォーム」を模倣することで、感情的な行動を取ることが可能になると考えられます。
以上のことから、私は人間に近いAIを創れる条件が整いつつあると考えています。
さらに、そのAIは膨大な知識(データベース)を持つことができるため、超人類のような存在に近づくでしょう。
AIが仕事を奪うという意見もありますが、私もそうなると考えており、超人類が世の中を動かしていく、プレシンギュラリティの時代の到来の足音が聞こえてきたように思います。
人間とAIが共存する社会は幸か、不幸かは分かりませんが、変化を続けてきた私たち人間は、AIとは異なり、新しい世界に適応し続けていかなければならないのでしょうね。
ChatGPTとは何か?④

汎用人工知能「ChatGPT」について、3回に渡り語ってきましたが、蛇足となりますが、もう1つ語らせてください。
今回も、専門家の参考意見やエビデンスはなく、ひろゆき氏に「それってあなたの感想ですよね」と論破される内容ではありますが、私としては重要な内容ではないかと思われます。
競馬の予想屋レベルの未来予想かもしれませんが、私としては、これから述べるような世界に変革される可能性は高いのではないかと思っています。
ChatGPT等のAIによるシンギュラリティの到来
これまでの3回に渡るブログの通り、汎用人工知能「ChatGPT」により、近い将来、プレシンギュラリティが始まり、AIが生活や経済等の中心となることで、日本人がイメージしているようなシンギュラリティとは異なりますが、シンギュラリティに至り、AIが人類の英知を超える時代が到来すると思われます。
汎用人工知能により、デジタル空間上のアンドロイドや、その後、五感を知覚するロボット(ハードウェア)やアンドロイドの実現により、これまで人が行ってきた仕事・政治・戦争等を代行するようになると考えられます。
良い面だけ語ると、人類の生活や社会は豊かになると思います。
(前回のブログのディストピアは、その富が世界の国々に平等に行き渡る前の段階)
遠い将来、ロボットやアンドロイドが仕事を代行し、ベーシックインカム(国から一定額の所得を定期的に提供する制度)の導入により、人は働かなくても、一定の生活ができるようになるかもしれません。
絵空事として考えていたユートピアのように、あくせく働くことなく、趣味に多くの時間を割きながら過ごすことができる世界に近付いていくように思います。
抽象化された現実の中で
このように汎用人工知能やアンドロイドが、仕事や生活の一部を担うようになると、私たち人間は、生々しい現実世界から離れ、鏡に映したような、抽象化された虚像の現実の中で生きるようになると思われます。
これはどういうことなのか説明します。
仕事で言うと、現代でもロボットやAI等により、工場のオートメーション化が進んでいます。
すでに国内でも24時間の無人工場も稼働していますが、品質向上・人件費削減・技術継承等のために、益々、ファクトリーオートメーション(FA)が加速し、工場内には、直接手で操作して作業する工員がいなくなり、ロボットやAIが正常に処理されているのか、モニターやデータ等で確認する管理者しかいなくなります。
古くは匠の手仕事によって製品が作り出されていましたが、将来的には管理者がモニターのグラフチェックやデータ分析等を行って製品が製造されるようになります。
部品や仕掛品を手で触ることもなくなり、生々しい現実世界から離れ、抽象化されたデータを見て、製品を製造することになります。
また、信じがたいことですが、人間関係も生身の人の付き合いではなく、AIやロボット等にシフトしていくように思います。
人によっては理解できないと思いますので、先に以下の記事を読んでください。
家庭用イヌ型ロボット「AIBO(アイボ)」が、「孤独」を抱える高齢者を癒やしているそうです。
高齢者施設に入居した人に、毎日、会いに行く近親者や友人はいないでしょう。
また、介護士も少ない人数で仕事をこなさなければならず、高齢者に常に寄り添うことができないことを考えると、AIBOというロボットを活用し、孤独を癒す方法は有益と思えます。
こうした取り組みが加速すると、現実の人とのコミュニケーションは少なくなり、抽象化されたロボットとコミュニケーションが増えていくでしょう。
不登校児がメタバース空間で1つの「居場所」に集まり、コミュニケーションしたり、学習支援を行ったりしているそうです。
不登校児が増える中、敷居を下げた人が集まる空間を提供することで、そこで人間関係に慣れて、リアルの学校への登校を促すのは、良い取組になりますので、応援したい気持ちになります。
良い取組ではありますが、現実から離れ、抽象化された世界でのコミュニケーションを行っている事例にはなります。
また、恋愛も同様の傾向があります。
現代の若者の多くは、LINEで告白しているそうです。
昭和の時代は、トレンディドラマのように面と向かって告白するのが、カッコイイとされてきましたが、令和の時代では、振られて傷付くのが怖い、リアルで告白なんかできない等と言われ、LINEでライトに告白する人が増えています。
つまり、リアルからの抽象化(デジタル化)が進んでおり、リアルで人と人がぶつかり合ってコミュニケーションしていた時代から、自分の殻に閉じこもったコミュニケーションにシフトしています。
さらには、結婚も仮想のキャラクターと行うケースが増えています。
先にリアルな結婚を行ったアメリカの事例です。
虐待やDVの被害に遭った経験を考えると、よっぽどリアルの夫よりも、チャットボット(AI)の夫と結婚する方が幸せなのではないかと思ってしまいます。
人生は苦難に満ちており、不幸になってしまった人が、現実世界から離れ、抽象化されたデジタルの世界で幸せになることは認められるべきことでしょう。
また、日本では漫画やアニメのキャラクターと架空の結婚式を挙げる人が増えています。
初め私はオタ活の延長と考えていましたが、実際にはキャラクターに真剣に恋してしまい、悩んで、架空の結婚を上げるという人が多いことに驚きます。
キャラクターに恋愛感情を抱く人を、フィクトセクシャルと言い、彼らの悩みを受け止めるために、このようなサービスが生まれたようです。
アメリカの事例と同様に、サイト運営者の渡辺さんも、インタビューを読んでいると、苦難に満ちている人生から、自分を救いを探す方法の1つとして、二次元のキャラクターに恋をしたようにも思います。
それにしても、「LGBTへの理解を!」と叫んでいる人たちは、「LGBTF」としてフィクトセクシャルも認めて「理解を!」と叫ぶでしょうか?
また、戦争も無人機の登場により、抽象化が進んでいます。
アメリカ国内で、妻や子供と暮らす自宅から基地に通って、テレビゲームのような画面で爆弾を投下し、破壊や殺戮を行います。
ちなみに、アフガニスタンでは無人機による誤爆もあったと言われています(両国で論争中)。
モニター越しで画像が不鮮明であったことが原因なのかは分かっていませんが、このような悲劇を生まないのか心配になります。
一方で、ベトナム戦争でPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発病した人が数多くいたことを考えると、アメリカ人の立場からすると人道的なのだと思われます。
エビデンスはないので感想ですが、一抹の不安になるのは、モニター越しの映像で戦争することで、リアルから離れ、罪悪感を感じることがなく、大勢の人を殺すことができてしまうように思います。
生活や経済にChatGPT等のAIが必需品となり、人とコミュニケーションが可能なロボットやアンドロイドが誕生することで、上記のような事例がより加速し、現実の人や物を、見ずに、聞かずに、触れずに判断することになり、これまでの人類の現実の知覚とは異なり、映画や漫画の世界のような虚像の現実を知覚することになるでしょう。
また、誰もが日常的にメタバースで遊んだり、生活するようになることで、映画「マトリックス」のようにデジタル空間で生きる人も出てくるかもしれず、リアルの抽象化(デジタル化)だけではなく、デジタル空間が人生のメインとなり、リアルがサブになる可能性も考えられます。
過去の歴史の振り返り
思えば、人類の歴史は、社会や経済の発展に伴い、現実の抽象化を重ねてきました。
前近代では、野生のイノシシを捕まえて、屠殺して解体して食していました。
現代では、イノシシを人間に都合の良い豚に抽象化し、畜産農家に飼育させ、消費者が見ることのない密室(市場等)で解体し、現代の私たちが見るのは、スーパーに並べられた商品としてパッケージされたお肉であり、前近代と比較すると抽象化されてきています。
また、日本では冷凍品の売上が年々増加していますが、ハンバーグやつくね等、食品に加工され、さらに抽象化された状態で見る機会が増えることで、将来的には生のお肉を見ることがほとんどなくなるのかもしれません。
ちなみに、現代でも化粧品にプラセンタが利用されていますが、動物の胎盤から作られていることを想像する人は少ないでしょう。
社会や経済が発展・高度化するにつれ、現実の抽象化が進みますが、汎用人工知能によるシンギュラリティによっても、この抽象化が加速度的に進むように思われます。
抽象化された現実の中で、それが当たり前の世代が生まれ、価値観が大きく転換し、最終的には、私たちは動物が持っていた本能を失い、喜怒哀楽を感じる機会が少なくなり、いつかは植物のような人間に変わってしまうのではないでしょうか。
前述のとおり、これは人類の繰り返し行われてきた歴史であり、これまでにも繰り返されてきた世代間ギャップの問題でもあります。
どの時代でも上の世代は、しらけ世代、新人類世代、ゆとり世代、Z世代等とステレオタイプで揶揄し、最近の若者はやる気がないとか、覇気がないといつでも言っていました。
世代間ギャップの問題の一要素として、リアルから抽象化(デジタル)への価値観の変化が影響していると思われます。
現代でも、漫画やアニメと結婚する若者に眉をひそめるシニアが、一定程度存在していると思われます。
悪い点だけなのか?
それにしても、植物的な人間に変わってしまうのは悪い面だけでしょうか。
いずれの課題もそうですが、もちろん良い面もあります。
明治時代、欧米各国が自国の利益のため、アジアやアフリカを植民地とし、
奴隷を働かせ、搾取し、抵抗運動が起こると、軍事力で現地の人たちを殺戮し鎮圧していました。
こうした負の歴史が生まれたのは、人が獣のように、欲望のままに行動していたことも一因だと思います。
現代の私たちは本能を抑えることで、前近代と比較すれば、より良い世界を創り上げてきたのだと思います。
また、現代の日本人が戦争に対してこれほどに批判的な考えになったのは、平和を願う気持ちが広がったからですが、他の要因として誰も言わないのは、現代の日本人が動物として弱くなってしまったからでしょう。
今後、有事が起きたとしても、日本の法律を変え、徴兵制を導入しても、弱体化した現代の日本人は、銃を持って勇敢に戦うことは不可能なように思われます。
抽象化された社会による植物的な人間へのシフトは、戦争や犯罪等を減らしている側面もあるように思います。
ユートピアとは何なのか?
ベーシックインカム導入により、人はあくせく働くことなく、趣味に多くの時間を割きながら過ごすことができる世界に近付いていくのではないかと言いましたが、はたして、それは幸せな世界になるのでしょうか?
趣味に多くの時間を割くことができるため、芸術を楽しむ人も増えると思いますが、人類の芸術作品の多くは、個人の人生の苦悩や悲しみから生まれていました。
人生が辛いものではなくなったら、芸術も、宗教も、哲学も、音楽も不必要になるかもしれません。
例えば、絵画で言えば、パブロ・ピカソは人生や現実の苦悩や悲しみを描こうと、あらゆる表現方法を試した芸術家で、将来的に植物的な人間が増えてしまうと、このような芸術を生むことができる人はいなくなってしまうのではないでしょうか。
アンディ・ウォーホルはリアルから絵画を創るのではなく、既存の絵画への対抗として絵画を創りましたので、絵画という抽象化されたものから絵画を創作する手法でした(絵画の中の絵画)。
AIの生成画像も、アンディ・ウォーホルの絵画と同等の空虚さを持っており、今後はこのような芸術しか生まれなくなるのでしょう。
(教師データとして既存絵画の画像を投入して、画像生成しているので当たり前ですが……)
人類は歴史の遺物を楽しむように過去の絵画を観るか、絵画の中の絵画を生成して楽しむことしかできなくなるでしょう。
絵画が人生や現実の苦悩や悲しみを表現することを捨て、絵画の中の絵画を追求した場合に、これが芸術の高度化なのかは、自分には分かりません。
ただの感想として、現代を生きる私には、空虚なものに思えます。
最後に、誰でも知っていることわざ「隣の芝生は青い」の通り、私たちは現代の価値観で、将来のユートピアを羨ましがっており、それは将来の子供たちの価値観とはかけ離れていて、現代の私たちの勘違いなのかもしれません。
新しい子供たちには、新しい価値観と、新しい幸せがありますが、今の価値観の中で生きている私たちは、今を生きるのが最も幸せで、自分たちの寿命が残っているうちは、価値観が大きく変わらない方が幸せで、シンギュラリティによるユートピアは幻想なのかもしれません。
ChatGPTとは何か?③

自然言語AI「ChatGPT」について語りそびれてしまったことを語っておきたいと思います。
今回は、専門家の参考意見やエビデンスがなく、ブログらしく、私の感想です。
ひろゆき氏に「それってあなたの感想ですよね」と論破される内容ではありますが、個人的には重要なテーマかと思いますので、参考までにご覧頂ければ幸いです。
シンギュラリティの到来はあるのか?
前回のブログの通り、ChatGPTによりAIが民主化され、私たちの社会は、仕事も、芸術も、政治も含めて、変革を余儀なくされ、過去に自動車なしでは暮らせなくなったように、AIなしでの生活や仕事ができない時代が到来すると思われます。
このようなChatGPTなどのAIのハイスピードの進化により、シンギュラリティは訪れるのでしょうか?
その予測は専門家にお任せするとして、個人的には、そもそもシンギュラリティというと究極の知性のようなものを想像してしまいますが、シンギュラリティが何なのかの定義が曖昧のような気がします。
また、シンギュラリティにもいくつかの段階があるのではないか考えております。
さて、シンギュラリティとは「技術的特異点(Technological Singularity)」のことで、「AIの知性が地球上の全人類の知性を超える時点」の意味で使われています。
2045年ごろに、AIでありながら、まるで生きている人間のように自律的に思考や学習・判断・行動まで行え、人間の知識が及ばないほどに、優秀な知性(スーパーインテリジェンス)が誕生するのではないかと言われています。
シンギュラリティについて詳細は以下を参考にしてください。
7年も前になりますが、2016年、人工知能「アルファ碁(AlphaGo)」が韓国の世界のトッププロのイ・セドル九段と対戦し、4勝1敗で勝ち越し話題を呼びましたが、その後も、囲碁AIの進化が止まらず、人間が勝てなくなりました。
アルファ碁は強化学習という技術を活用しており、AI同士で碁を戦わせ、勝った方に報酬を与えることで、より良い手で打てるように学習させています。
人間のような意思はありませんが、自分で学習し、どの手が最適なのか自分で判断して行動しています。
一般的に、アルファ碁はシンギュラリティの一種としては考えられていませんが、一部の分野に限ることで、AIが人類の脳を超えている現実があり、すでにシンギュラリティが始まっていると言うこともできるとは思います。
AIにより、こうした一分野におけるスーパーインテリジェンスが、多数の分野で誕生することにより、人間の知性が強みを発揮できる分野が限られていき、全体的なシンギュラリティに近付いていくという考え方もあるのかと思います。
また、これまでのブログで語りそびれてしまいましたが、ChatGPTはAGI(汎用人工知能)を目指して開発が進められています。
現在の多くのAIは、アルファ碁のように特定分野に特化して開発されていますが、AGI(Artificial General Intelligence)とは、人間のような汎用的なことに対応できるAIになります。
これまでのブログで説明した通り、ChatGPTは人間のようなコミュニケーションを行えるようにすることで、AGIを目指していると思われます。
また、ChatGPTはマルチモーダルAIへの対応も並行して進めています。
マルチモーダルとは「複数のモード(状態)」という意味で、テキスト・音声・画像・動画など、複数種類のデータを統合的に処理できるようにAIを改善することで、よりAGIに近付くのだと考えられます。
マルチモーダルに対応することで、AIが人間の五感と同じような能力を備えることができるようになることが革命的なのだと思われます。
現状は、大学生レベルの知能ではありますが、音声・画像・動画などへの対応が進めば、マイク(耳)とカメラ(目)を持つロボットを創ることで、アンドロイドの実現が見込めるように思われます。
AGIの実現はシンギュラリティが訪れる条件の一つと考えられますが、現在のChatGPTの進化のスピードを考えると、近い将来、実用可能なレベルのAGIの登場はあるのではないかと考えております。
近い将来、訪れるプレシンギュラリティ
シンギュラリティの前に、プレシンギュラリティが起きると考えている専門家もいます。
プレシンギュラリティーとは「社会的特異点」のことで、社会的なシステムが変化することを言います。
鉄腕アトムのような人型アンドロイドの実現には、マルチモーダル対応やハードウェアなど、技術的な課題が残っていますので、すぐに実現するとは思えませんが、先行してデジタル空間上のアンドロイドの活用が、世界中に広がると思われます。
これまでのブログで語った通り、すでにSiriのようなチャットボットの利用が広がっていますが、ChatGPT等の自然言語AIがアプリに組み込まれることで、より精度が高く、利便性が高い、デジタル空間上のアンドロイドが、私たちの生活や仕事をサポートするようになると考えられます。
デジタル空間上の秘書が仕事のドキュメント作成を手助けし、デジタル空間上のコンセルジュが医者や弁護士の代わりにアドバイスしてくれるようになると思われます。
生活や仕事の中にChatGPT等の自然言語AIが溶け込むことで、AI前提のハイスピード社会に変革され、「社会的特異点」が訪れることで、AIなしでは暮らせなくなる時代が到来すると考えられます。
専門家である齊藤元章氏に反論するわけではありませんが、上記記事は、AIによりユートピアが到来するかのように書かれていますが、個人的には、どうしてもディストピアを妄想してしまいます。
プレシンギュラリティーが訪れると、前回のブログでもお伝えした通り、ホワイトカラーの仕事がなくなると思われます。
10人で行っていた仕事を、3人でできるようになったら、後の7人はリストラされてしまいます。
そのため、まず個人レベルでは、一部の優秀な人材と、就職できない人の間で、経済格差が広がると思われます。
大企業の業務が試験研究、企画、AIの運用などの仕事に限られることで、高度な知識がないと仕事ができなくなり、能力や資格を有していない人は働けなくなります。
また、今のように就職一括採用で、未経験の学生を大量に採用し、簡単な仕事から任せて、数年掛けて人材を育てることが難しくなり、就職一括採用というシステムが破綻すると考えられます。
また、国家レベルでも同様の状況が起こるように思われます。
AIの特許を数多く有し、開発が先行しているアメリカ・中国などがAGIを占有して提供するようになると、AGI供給国家とAGI需要国家で経済格差が広がります。
また、AGIが社会の根幹システムとなると、AGIの供給を停止することで、その国の生活や仕事などを止めることができるようになり、石油・天然ガスなどのエネルギーの輸出と同様に、外交のカードとして利用できるようになります。
アメリカと中国という二大大国が世界を市場を独占することで、世界は二大派閥に別れて結集し、世界の分断をより深くするように思われます。
人類のAIへのアレルギー反応
現在、アメリカや中国などでも、AIを安全にコントロールできるようにするために、法律で規制することを検討しています。
個人的には、これはまだ序章に過ぎないと感じており、今後、政治とAIとの対立は深まり、政治家はAIの危険性を根掘り葉掘り洗い出し、法律による規制を強めると思われます。
現在、欧州では政治へのAI活用が検討されており、最たるものとしては、デンマークでは「人工党」というAIが政策を主導する政党が誕生し、2023年のデンマーク総選挙に立候補する意欲を示していると言われています。
現在、ChatGPTの知識は大学生レベルと言われていますが、今後、AGIの進化が進むと、政治家と討論した際、知識不足から政治家が敗北を喫するようになると思われます。
国民の間では政治家の一部を、AGIに入れ替える議論が始まり、政治家は自身の保身から、感情的にAGIの政治参加を批判するようになると思われます。
例えば、AIには感情がなく、弱者の気持ちが分からないから、AGIの政治参加に問題があるなど、政治家は非論理的な意見を振りかざし、AI排斥に動くと思われます。
また、戦争では人命が奪われたり、肉体や精神を病んでしまうことがありますので、健全な戦争を行うため、AGIを活用したアンドロイドが出兵されるようになると思います。
仕事を奪い、戦争で人を殺すアンドロイドは、イメージが悪くなり、人類の目の敵にされるように思います。
AIやアンドロイドに対するアレルギーが、人類に蔓延するように思います。
中国政府はChatGPTを警戒感を露にし、国民のChatGPTへのアクセスを遮断しました。
中国国内では天安門事件の情報を封印していますが、ChatGPTでは統制が効かないため、不都合な真実を提供するChatGPTの使用を禁止しています。
自国のバイドゥで「アーニー」という対話型AIを開発し、ChatGPTとは別に、中国共産党が統制可能な対話型AIを提供しようとしています。
アメリカを中心としてAGIの開発が進められていますが、ChatGPTに政治的な質問をした場合、アメリカらしく自由民主主義諸国の意見に偏ったリベラルな回答をするそうです。
ニューヨークの保守系シンクタンクであるマンハッタン政策研究所が、最近発表した論文において、「ChatGPTの回答はリベラルに偏り過ぎている」と主張しています。
AGIは平等なスーパーインテリジェンスを目指しているものの、各国の都合や思惑などにより、偏ったものになる可能性が高く、AGIが回答したことを水戸黄門の印籠のごとく振りかざすようになってしまうと、ミスリードを誘発するように思われます。
アメリカはネイティブ・アメリカン(インディアンは差別用語の可能あり)の伝統・文化を尊重するべきで、民間人を大量に殺戮した、焼夷弾による東京大空襲や広島・長崎への原子爆弾投下は批判されるべきで、ベトナム・イラク戦争も批判されるべきものと思われますが、AGIはそのような回答はしてくれないでしょう。
また、現在でも、国家間で静かで目立たない戦争の1つとして、サイバー攻撃が行われていますが、それが加速するように思われます。
AGIを活用したシステムが生活・仕事・政治などの中心になった場合、セキュリティホールを攻撃し、AGIを停止させたり、誤動作させたりすることで、その国家に大きな打撃を与えることができるようになってしまいます。
原子力発電所はAGIは導入しないと思いますが、火力発電や自動運転車などをAGIでコントロールするようになると思われます。
AGIを誤動作させることで、火力発電所や自動運転車などの事故を起こされてしまうと、大災害になってしまいます。
こうしたディストピアがすべて必ず起きるとは断言できませんが、少なからず、これらは現実の問題として人類の前に立ちはだかると思われます。
このような壁に人類がぶつかったときには、人らしく不安感や恐怖などの感情を抱くと思われます。
その不安感や恐怖は、AGIに対するアレルギーとなり、反AGI思想が広がり、排斥運動が起こる可能性があるように思われます。
例えば、AGIによるアンドロイドが実現した場合、他人が見ている場合は紳士的に扱いますが、誰もいないところではアンドロイドを壊してストレス発散する人も出てくるように思います。
すでに現代でも、スローライフなどの思想がじわじわと広がっていますが、文明社会がAGIを活用した高度文明社会となった場合に、高度文明社会から距離を置き、自然とともに自給自足で生活する人たちが増えるように思います。
東出昌大氏などが食費ゼロ円生活を送っていますが、このような本来の人間らしさを探し求め、原始的な生活に回帰する人たちが増えるように思います。
AGIに負けてしまった人たちは、自信を喪失し、人とは何であるかを問うようになり、アイデンティティを求め、人間讃歌の思想にたどり着き、AGIを活用した効率的な高度文明社会のグループと、2つの分断された思想グループを形成するように思います。
この2つの思想グループのコンフリクトが、今後の世界の課題になるように思います。
ChatGPTとは何か?②

ブログに別の話題ばかり掲載していましたが、今回は、改めて自然言語AI「ChatGPT」の続きを語りたいと思います。
いつも通り、ChatGPTのあまり語られていない側面を検討したいと思います。
ChatGPTは何が「すごい」のか?
日本のパソコン好きの間では、まるで人と接しているかのようなチャットで、すごいと騒がれています。
これは私生活の遊び範囲で、ChatGPTを利用するのには良いですが、チャットボットでもある程度、楽しめていたので、それほどインパクトがないように思われます。
また、各企業がChatGPTを活用しようとしていますが、プロンプト(ChatGPTに投げかけた質問)のデータが、AIの再学習に利用される可能性があり、セキュリティの問題から、企業内でのChatGPTの利用を見送っているケースも数多く存在しています。
(ちなみに、API経由の場合は再学習されないため、一部の企業や地方公共団体などでは内部でAPIを実行するアプリを活用し始めています)
また、ChatGPTは、幅広い、数多くのデータを学習しているため、一般的な回答しかできず、一歩、踏み込んだ議論が行えません。
ChatGPTを社内の業務に活かすためには、業界知識・専門知識・社内ルール等、社内にしかない情報をAIに追加で学習させる必要がありますが、今のところはそのようなことができない状況です。
それでは、ChatGPTは何がすごいのでしょうか?
世界中でChatGPTが熱狂的に騒がれているのは、エンジニアが中心だと思われます。
シリコンバレーでは、日夜、ChatGPTで何ができるのか、エンジニアの集会が開催され、技術情報の交換を行っているようです。
エンジニアがChatGPTに注目したのは、APIに対応したからだと思います。
APIとはアプリケーション・プログラミング・インターフェースの略称で、異なるソフトウェア間でのデータのやり取りを行うための仕組みです。
システムにあまり詳しくない人には分かりにくいかもしれませんが、Googleマップが分かり易いかと思います。
例えば、食べログではお店の場所をマップで確認できますが、Googleマップの公開APIを実行することでマップ表示に対応しています。
それでは、ChatGPTのAPIを活用し、他のシステムと連携することで、どのようなことが実現できるでしょうか。
■サポート対応
利用者から製品やサービス等への多数の質問が届くが、ChatGPTのAPIを活用し、自然な言葉で自動回答
※チャットボットで対応可能との指摘があるが、チャットボットは事前に回答パターンを網羅的に用意しておき、返答しているだけ(自然な返答ができない)
■システムやIoTデバイスとの連携
ChatGPTのAPIを活用し、システムやIoTデバイスと自然な言葉でやり取りが可能
例えば、パソコンのマイクから「今月の売上を教えて」と指示するだけで、売上レポートを自動作成
また、スマート工場の場合、マイクからの指示で製造機械を動作・停止
■パーソナライズドマーケティング
顧客の購買履歴や嗜好データを元に、ChatGPTのAPIを活用し、顧客向けの広告メッセージを自動生成
※現状でもパーソナライズメッセージに対応可能だが、事前に定型文を用意しておくケースが多い
上記の活用例でお分かりの通り、ChatGPTは人間とのコミュニケーションの部分で強みを発揮することができます。
システム用語では、人間とのコミュニケーション機能をUI(ユーザー・インターフェース)と呼んでいます。
これはWindowsというGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)のOSを開発したビル・ゲイツ氏が、ChatGPTに注目していることにも関係していると思います。
ChatGPTのデモを見たビル・ゲイツ氏は、以下のようなことを言ったそうです。
■ビル・ゲイツ氏のコメント
これまでの人生で、革新的と感じた技術のデモンストレーションを2つ見た
1つは、世界初のGUIのOSであり、もう1つが、OpenAIの「ChatGPT」だ
当初、パソコンはMS-DOSという黒い画面に、コマンドを入力して利用していましたが、1980年に、Microsoft Windowsが登場し、GUIでパソコンを操作できるようになり、パソコンがビジネスや生活の中に一気に普及していきました。
GUIの登場によりパソコンが民主化され、生活や仕事が大きく変わりましたが、その変革の一翼を担ったビル・ゲイツ氏が、ChatGPTに最大級の賛辞を送っているのは、ChatGPTもGUIと本質は同じで、今回はAIの民主化が起こるのだと思われます。
従来、AI利用のためには専門のデータサイエンティストに依頼し、コーディングやチューニングなどを行ってもらい、やっと利用することができましたが、ChatGPTのAPIにより、人とAIやシステムをつなぐことができるため、誰もが普段利用するアプリの中で、AIを利用できるようになるのが革命的なことなのだと思われます。
また、APIを活用することで、社内の情報もChatGPTに学習させて、まるで自社の社員のように振舞わせて回答させることも可能となっています(プロンプトからの取込やファインチューニングにて対応可能)。
現代のビジネスにおいては、各企業が数多くのシステムを利用して実務を行っており、システムなくしてはビジネスが遂行できない状況になりつつあります。
従業員はシステムを動かすために、ボタンをクリックしたり、値を入力したりしていますが、それは人とシステムがスムーズにコミュニケーションできるインターフェースがなかったため、システム上での面倒な作業を行っていました。
今後は、ChatGPTの登場により、人が普段話す言葉でシステムを動かすことができるようになれば、面倒なシステム操作から解放され、仕事や生活が劇的に変革される可能性があります。
このような変革の兆しは、Microsoft 365 Copilotに見て取れます。
Microsoftが発表した内容のサマリーは以下になります。
■Word
作成したいドキュメントのイメージをCopilotにチャットで指示すると、自動的に文書を作成
■Excel
チャットで指示するだけで、売上データをまとめてくれる
■Teams(チャットやリモート会議ツール)
リモート会議の決定事項やタスク等のサマリーを議事録として自動作成
詳細はMicrosoftの記事をご覧ください。
Copilotとは副操縦士という意味ですが、上記機能の通り、まるで秘書付きで仕事ができるようになります。
初めは、自動生成の文章がそのままではビジネスに活用できないレベルなど、あまり精度が出ないかもしれませんが、現在の技術革新のスピードを考えると、リリース後も次々に改善が行われ、近い将来、本当の秘書のようなサポートができるようになるかもしれません。
Microsoft 365以外にも、同じMicrosoftですが、GitHub(ソース管理ツールとしてデファクトスタンダード)でもChatGPT技術を活用し、Copilotというコーディング支援機能(一部のコードからの予測表示・コメントのコード変換等)をリリースしました。
Salesforce(営業管理ツールとしてデファクトスタンダード)もChatGPT技術を組み合わせることで、生成系AI「Einstein GPT」に対応することを発表しました。
現代のビジネスでは、Microsoft 365(Office)等のアプリなしではドキュメントが作成できず、メールの1つも送れず、仕事ができなくなりました。
仕事で普段から利用しているアプリが、ChatGPT活用により機能改善を行うことで、世界中の誰もが仕事のやり方を大きく転換することになるでしょう。
そして、新技術の導入に時間が掛かったり、対応できない企業は、世界の新しいビジネスのスピードから、大きく遅れを取ってしまう可能性があるように思います。
当たり前(スタンダード)の技術とは?
仕事する上で、一度もGoogle検索を利用していない人は皆無と思われます。
ググるという造語もできてしまったように、Google検索は一般化しました。
Google検索の便利性が浸透する中で、多くのアプリでも、Google検索のような検索機能の対応に迫られました。
Amazonで欲しい商品を検索し、Uberで飲食店を検索し、Netflixでは映画やドラマ等が検索し、普段の生活でも検索がスタンダードになりました。
アメリカや中国が中心となってAIの論文が発表されており、GoogleやMicrosoftといったビックテックが次々と最新技術を生み出しています。
このような最新技術が、ChatGPTの活用により普段使いできるようになることで、ITリテラシーが高くない国でもAI活用が進むようになります。
検索機能が広まりスタンダードとなったように、自然言語AIも世界中に広まる中で、蛇口をひねればすぐに出る水のように、いつでも、どこでも、誰もが当たり前に使えるようになる時代になるのだと思われます。
そうして将来的には、車で移動するようになった後は、馬車の時代に戻ることができなくなったように、しだいに、私たちも自然言語AIが当たり前になった社会から戻ることができなくなる時代に突入するのでしょう。
また、このように自然言語AIが当たり前になった世界では、パッケージメーカー(システム提供している会社)は、ChatGPT対応のシステムとChatGPTに未対応のシステムのどちらを提供するかで、明暗が別れていくと予想されます。
例えば、SFAのツールとしてSalesforceが40%(2022年のボクシル編集部の調査を参考)を占めていると言われていますが、SalesforceがChatGPTの技術を取り込むことで、利便性が劇的に向上し、他のSFAでは満足できないユーザが増え、さらにSalesforceがシェアを伸ばすことが予想されます。
資本力(新機能の開発費用が必要なため)と技術力を持った一部の企業だけが、ChatGPT対応のシステムを提供することで、未対応のシステムを一時代前のものとして、置き去りにしていくと思われます。
また、当たり前の検索や自然言語AIの機能を備えていないシステムが利用されないようになることで、スタートアップ(ベンチャー企業)が新システムを初期開発する際のコストが高くなり、新規参入の障壁となり、既存システムの占有を盤石にするように思われます。
(現在、Windows牙城を崩すOSは現れにくい状況となっています)
ちなみに、デファクトスタンダードとしてChatGPTを提供するMicroSoftは、Windowsと同様に莫大な収益を上げることになると思われます。
日本のパッケージメーカーは、すぐにでもChatGPTに対応しなければ、海外システムの日本語版が日本のシェアのほとんどを奪う恐れがあるように思います。
なぜGoogleは対応が遅れたのか?
補足として、Transformerという技術を生み出したGoogleは、なぜ自然言語AIへの対応が遅れたのかを語っておきます。
TransformerはGoogleが発明したAI技術になりますので、以前からGoogle社内でChatGPTのようなアプリは開発されていたと言われています。
ただ、検索の広告表示で莫大な収益を上げていますので、検索の利用及び収益を低下させる可能性のある自然言語処理AIの提供には消極的だったのではないかと言われています。
ご存じのとおり、Yahoo!もGoogleの検索エンジンを採用していますので、検索サイトとしてGoogle及びYahoo!を合わせると、利用者は全体の90%(2022年)を占めていると言われています。
2021年1~3月期決算では、Googleの広告事業は446億8400万ドル(YouTubeなどの広告収入も含む)の売上を達成しており、ドル箱状態の事業に対して、冷や水を浴びせるようなシステムのリリースは行わなかったと考えられます。
ChatGPTの一般公開により、世界中で自然言語処理AIのブームが訪れてしまい、本家のGoogleも焦って、対話型AI「Bard」という検索機能を無償提供することになりました。
とはいえ、時間がない中の急ごしらえの準備であったため、発表時のデモで、Bardが誤った回答をしてしまい、アルファベット(Googleの運営会社)は時価総額を1000億ドルも下落させることになりました。
■質問
ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡による発見を教えてください
■Bardの回答
初めて太陽系外の惑星の画像を検出することに成功
■正しい回答
地球から40光年離れた太陽系外の惑星からの光を検出することに成功
世界の天文台が太陽系外の惑星を発見したのは、初めてではない
(2004年の欧州南天天文台の超大型望遠鏡が撮影した画像が初めて)
それにしても、個人的には、これは一時的な状況だと考えております。
収益の根幹が揺らぎかねない状況の中、スターエンジニアを有するGoogleは社を上げて改良にいそしむことで、ChatGPTに対抗可能なサービスを提供すると思われます。
いずれにせよ、アメリカのビックテックが最新技術を提供し、日本はそれを利用するだけの立ち位置に甘んじることで、これからもアメリカと日本の経済格差は広がる一方になるように思われます。
私たちの仕事はなくなるのか?
将来の私たち日本人の仕事はどうなるでしょうか?
ChatGPTの出現により、ホワイトカラーの仕事はクリエイティブな部分のみになると言われていますが、前回、語った通り、全ての人たちが創造性を持っているのかは、一抹の疑問を感じます。
芸術家ですら、まったくの無から何かを生み出していないのであれば、なおさら、一般人では新しい学識や芸術などを生み出すことは難しいように思われます。
また、会社員の中で、クリエイティブな仕事をしている人は、ごく一部だと思われます。
仕事の中で、一見クリエイティブに思えるものも、クリエイティブなものではないものも多く、例えば、Webデザイナーもデザインを検討する一部の作業はクリエイティブですが、実際にはWebページの設定やコーディングなどに多くの時間を費やすため、全体としてはクリエイティブな仕事と言い切れないようにも思えます。
また、Webデザインの仕事も、クリエイティブな作業に携われるのは、一部のデザイナーのみであり、他のサブ担当や制作者などの多くは、デザイナーの指示の下、作業を行うだけであり、将来的には代替えが可能となると思われます。
この変革が極端に進んでしまうと、Web制作の会社であれば、社内に少数の有能なデザイナーだけがいれば良く、他の人は不要になってしまい、ホワイトカラーの仕事がなくなるという悪夢は現実のものになる可能性があります。
とは言え、ここまで極端な世界に進むには、相応の時間が掛かるものと思われます。
遠い未来のことを考えても仕方ありませんが、さて、このような極端な世界では、クリエイティブな仕事以外には、どのような仕事が残るでしょうか。
経営者はクリエイティブな仕事として残るものとして、それ以外の1つとしては、人と人の間の調整や交渉が必要なケースになります。
プレゼンテーション(想いを込める等)、ディベート、信頼関係構築、マネジメント等が該当するように思います。
また、企業や業務などの改革・改善などは、人が判断して行う必要があります。
改革・改善の施策の検討は人が行いますが、その施策の実行に関しては、AIが支援を行うことができるでしょう。
また、AI自体を運営を担当する人も残ると思います。
・AIシステムの運営・維持
・AI機能の追加・改善
・AIに学習させるためのデータの作成
(上記は広い意味で、研究開発も含む)
上記の仕事に残れないホワイトカラーは、賃金が低下するかもしれませんが、エッセンシャルワーカーに転職するしかないかもしれません。
このように将来、社会が変質することが目に見えている状況にもかかわらず、日本の教育は、暗記型から脱却できておりません。
日本のニュースでは、学校の課題をChatGPTで自動生成してしまうことが問題視されていますが、個人的には学校側のチェック体制は学内で話し合えばよいだけで社会問題にする必要もなく、それよりも、新たなAI時代に子供たちにどのような教育を提供するのかが重要と考えています。
学校も暗記型から思考型への変革を少しづつ行っていますが、牛の歩みとなっています。
なお、小・中学校の教師は熱意もあり、教育の改善に熱心ですが、日本は、大学が問題であり、普段研究などを行っている教授が、片手間に授業を行うだけで、社会に出て役に立つ知識はほとんど提供されません。
また、高等教育の大学ですら、黒板に書いた内容を暗記するだけで、試験で点が取れるようになっています。
このまま暗記型の教育が続けば、クリエイティブな若者は育たず、日本は世界から取り残されるように思われます。
今回は救いのない話を書いてしまいましたね。
私のこのような予想が、現実のものとならないのように努力する必要がありますが、自分に何ができるのかを振り返っても、すぐに打ち手に取り組むことは難しく、まずはブログに書いて少しづつ多くの人に問題意識を持ってもらうことから始めないといけないように感じます。
ロシアのウクライナ侵攻と日本の戦争アレルギー⑧

5月2日に、ロシアのクレムリン(大統領府)で、ウクライナ側がドローン攻撃を行い、
プーチン大統領の命を狙った言われるテロが発生しましたので、本件について語りたいと思います。
詳細は以下のニュースをご覧ください。
ウクライナは自国のテロ行為ではないと主張しており、アメリカも含め、各国が事実関係を調査していますが、まだウクライナ側のテロ行為なのか、それ以外のテロ行為なのか判明していない状況です。
本件は3つの可能性が推測できると思いますので、個々についてコメントします。
■想定される可能性
①ウクライナによるテロ行為
②ロシア国内の反プーチン派のテロ行為
③ロシアの自作自演
①ウクライナによるテロ行為
ウクライナは「春季大反撃」を予告していますので、軍事作戦として行ったのではないかという推測もあるかもしれませんが、個人的には可能性が低いかと思います。
ゼレンスキー大統領が「モスクワでの出来事は明らかに状況をエスカレートさせる試みだ」と言っている通り、テロ行為は失敗する可能性が低く、ロシアにウクライナ侵攻の名目を与えるだけでしょう。
また、ドローンを数百キロも離れたモスクワまで飛行させて攻撃するのは、不可能に近く、ロシア国内の人物(例えば、反プーチン派のロシア人など)に攻撃を依頼したように思われますので、ゲリラ的な活動は、正式な軍事作戦ではなかったように思います。
ウクライナでは、テレビで火炎瓶の作り方を放映していることを筆頭に、国を挙げてゲリラ戦争を推進していますので、ウクライナ国民がゲリラの活動として、ロシア国内の反プーチン派の友人に依頼し、ウクライナ軍部が把握していないところでドローン攻撃が行われた可能性があるのではないかと思います。
②ロシア国内の反プーチン派のテロ行為
ロシア国内では、反プーチン派が活発に活動しており、例えば、先月、ロシアの第2の首都「サンクトペテルブルク」のカフェで、国民共和国軍がウクライナ侵攻を支持している軍事ブロガー「マクシム・フォミン氏」を爆死させた事件が発生しました。
ロシアでは反プーチン派の国民を次々と逮捕し、撲滅しようとしていますが、したたかに活動を継続しており、クレムリンのドローン爆撃も、ロシア国内の反プーチン派のテロ行為である可能性は否定できないように思います。
ただし、これは一歩間違えると大問題となる危険性を秘めていて、それは①と②の区別が付かないことです。
カフェの事件でも、ウクライナ側が手引きしたのではないかと関係性が疑われています。
戦争の道具としてSNSが使われるようになり、国を超えて簡単に話し合うことができるようになってしまったため、目的が同じことから、ウクライナ国民とロシアの反プーチン派が友達になることはあり得ることのように思います。
SNS上で、友人同士でどんな攻撃ができるのかチャットで検討する中、クレムリンのドローン爆撃の案もチャットに履歴が残っていた場合、これはウクライナ側の関与があったとみなされる可能性もあるかもしれません。
チャットの履歴が残っていると、ウクライナの軍部は国民にゲリラ戦を推奨しており、国から依頼された国民が、反プーチン派に依頼したようにも見えてしまいます。
クレムリンのドローン爆撃に関して、現在、ウクライナとロシアの国としての見解が異なっている状況ですが、ロシア側がグレーの証拠をこじつけに利用して、ウクライナ側のテロ行為だと主張する可能性があるように思います。
③ロシアの自作自演
3月に、中国の習近平がロシアを訪問しましたが、ウクライナ侵攻について対話と和平に向けた仲裁役を担う立場で臨んだと言われています。
頼みの綱の中国からも、ロシアのウクライナ侵攻の正当性を疑われたことから、名目作りのために、自作自演でクレムリンのドローン爆撃を行った可能性もあるかもしれません。
クレムリンのドローン爆撃により、ロシアはどのように反撃するのか?
さて、私は素人なので、首謀者の議論は、各国の専門家の調査に任せるとして、重要な点についてコメントしたいと考えております。
今回の事件が①であったり、または②にもかかわらず、ロシアがこじつけで①と言い張ってしまうと、戦術核使用の理由ができあがってしまうように思います。
まずは戦術核兵器について簡単に説明します。
詳細は下記の記事をご覧ください。
戦術核兵器とは、通常兵器として射距離が短い核兵器を攻撃に利用することです。
再三、ロシアは核兵器の使用の可能性に言及してきましたが、戦略核兵器を使用した場合、世界中からの批判が集中し、ロシア寄りとも言われる中国からも見放される可能性があるのではないかと思われます。
そのため、ロシアが核を利用するとしても戦術核兵器になりますが、破壊力や被害などはそれほど変わらないのではないかと言われています。
また、ロシアは、2020年に「核ドクトリン(ロシア核兵器の方針)」を発表していますので、こちらの条件に従って核兵器を使用すると考えられます。
なお、意外にロシアは冷静であり、この機密情報を公表したのは、越えてはならない「レッドライン」を示すことで、アメリカなどのNATOとの核戦争にならないために、抑止力として発表したと思われます。
■核ドクトリン
①敵国に弾道ミサイルを発射された場合
②敵国が核兵器や大量破壊兵器を使用した場合
③重要な政府や軍の施設に対して、敵国が干渉を行った場合
④ロシアが侵略され国家の存立が危機的になった場合
個人的には今回の事件が①や③に該当したとみなされる可能性があるのではないかと不安に感じています。
クレムリン(大統領府)の攻撃は成功率が低いとは言え、成功していれば、政府機能は停止してしまった可能性があり、ロシアに戦術核の使用の言い訳を与えてしまったように思います。
とはいえ、プーチンは頭がおかしい人といった日本の報道とは異なり、個人的には、冷静に物事を考えていると思われ、戦術核兵器であっても使用してしまっては、中国やグローバルサウスなどからも、見放されるため、抑制的に動くのではないかと思います。
ただ、クレムリンのドローン攻撃は、衝撃的な事件のため、日本のテレビでも取り上げられましたが、実は、ロシアの各地でドローン攻撃が行われています。
ロシア南部の製油所がドローン攻撃により、石油製品備蓄施設が炎上し、ロシア南西部のブリャンスク州の鉄道でも爆発があり、貨物列車が脱線し、いずれもウクライナの関与が疑われています。
これはウクライナがミンスク合意を破ったとロシアが主張したときと似ており、ロシアが過剰な行為に至らないのか不安を覚えます。
今後、ロシアが戦術核兵器を使用するのか予想することは難しい状況ではありますが、それは専門家に任せるとして、個人的に不安に感じるのは、結局、戦争はエスカレートしていくものだということです。
自由民主主義諸国の支援と、ゲリラ戦争によりウクライナが、防衛や一部の反転攻勢を成功させている一方、広大な国土を有するロシアは自給が可能な大国で、物量に任せ、戦争に兵士や資材を投入し、戦線が一進一退で膠着する中で、結局、両国の争いがエスカレートし、戦術核兵器の使用も視野に入ってしまうような状況となっています。
これ以上、エスカレートする前に、休戦協定を望みますが、両国の主張の隔たりの溝の深さを知っているため、難しいと諦めざるを得ませんが、それでも神に祈るように実現不可能と思われる休戦協定を願います。
ロシアのウクライナ侵攻と日本の戦争アレルギー⑦

2022年3月に、本ブログで「ロシアのウクライナ侵攻と日本の戦争アレルギー」と題して、ロシアとウクライナの戦争について語りましたが、私の意見は偏った内容で、当時は同じような意見を言っている人をほとんど見かけませんでした。
あれから1年余りが経ちましたが、2023年4月28日の「朝まで生テレビ」で同じような発言がありましたので、紹介しておきます。
このような偏った意見が、テレビで放送されるとは思いませんでしたが、タブーなしを掲げて放送してきた「朝まで生テレビ」だから言えたことかもしれません。
一水会代表の木村三浩氏の発言になりますが、一部をご紹介しておきます。
朝まで生テレビ「激論!広島サミット・ウクライナと”核”」の発言(読み易く発言を訂正)
クリミアは現地に行って見てきましたが、日本の国際報道はかなり現地と違う。
ロシア人とウクライナ人とタタール人が主に住んでいるが、ロシアに帰属したことを、非常に良かったと評価している。
不当な経済制裁によってクリミアの人たちに対する人道上の権利を剥奪したため、世界とのコミュニケーションができなくなって、不満が溜まっている人がいるからいろいろなことを言っている人がいる。
2014年のウクライナのマイダン革命というのがありますが、その構造はG7でも誰も言っていないが、ヤヌコーヴィッチ政権がクーデターの暴力によって倒された事件だが、(ロシアに対して)G7は力の現状変更と言っている人は、それに対して何も言っていない。
実はソ連邦が崩壊してから、ずっとクリミアではロシアへの帰属運動は行われていて、ロシアに帰れて良かった。
なぜかっていうと、クリミアは汚職が多いという背景があり、またウクライナ時代はリゾートのインフラができていなかったが、インフラが充実されて整備された。
2014年にオデッサの労働会館の虐殺事件があったが、クリミアへの飛び火を恐れたが治めることができた。
ドンバス(ドネツク・ルガンスク)の構造は、2014~2022年の8年間、アゾフ部隊があって、ドンバス地域はロシア人系が多く、ウクライナの民兵組織によって虐殺を受け、迫害を受けていたから、ミンスク合意1・2が作られた。
ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国を承認するとして、8年間の大変な事態を鎮静化させるために、何度も提案していた。
ヤヌコーヴィッチ大統領がやられた後に、仕方なく大統領選挙で、ポロシェンコ大統領になり、ロシアと話し合いをして、フランスもドイツも入って、ミンスク合意でドンバス地域に特別な地位を与えようと対話を優先した。
ゼレンスキー大統領が出てきて、西側NATOも入ってきて、拡大方針もあり、 ロシアへの攻撃をどんどん行うべきと助長してきた。
ゼレンスキー大統領も仕方がなく動いており、後ろにいっぱいいる。
自分のブログを読み直すと、当時、日本国内は「ロシアは悪だ」という空気感に支配されており、それに配慮して遠回りに書いていますが、私の伝えたかったことは木村氏と同様で要約すると以下になります。
要約
2013年、ウクライナではユーロ・マイダン革命が発生し、大統領を追い出したことにより、その反発として、ロシア系住民が多いウクライナ東部で独立を求める住民運動が発生し、内戦が始まりました。
悲惨な内戦が続く状況の中、フランス・ドイツも協力し、2014年・2015年にウクライナはミンスク合意に調印し、休戦に至りました。
その後、ウクライナは極右の意見もあり、2021年にドネツク州で分離独立派を攻撃し、ミンスク合意に反する行為を行い、ロシアのウクライナを侵攻するきっかけを作ってしまいました。
両国間の問題は非常にこじれており、どちらが正しい・悪いとは言えない状況で、仲裁するにも困難な難題が山積しています。
民主・自由主義諸国は、様々な問題には目をつむり、ウクライナを朝鮮戦争やベトナム戦争などのように代理戦争に仕立てています。
物量で勝るロシアに対して、ウクライナはゲリラ戦にシフトし、凄惨な戦争に突入しました。
代理戦争のゲリラ戦で、悲惨な思いをするのは、ウクライナ国民であり、一説にはすでに1万人が亡くなったと言われています。
この悲劇を早く終わらせるためには、フランス・ドイツが仲裁に参加し、深夜まで検討し、やっと締結したミンスク合意に戻すしかないと考えています。
――世界に平和が訪れることを祈っています。
ちなみに、一水会は新右翼団体になります。
右翼と言うと、街宣車からスピーカーで叫んでいるイメージがありますが、一水会は街宣車の騒音を止めるように、他の右翼団体を批判しているようです。
新右翼団体に対しては、すぐに身構えてしまう人が多いと思いますが、私としては、ご意見の一部は参考になるかと考えております。
個人的にはダイバーシティを推進し、広く意見を集めるのであれば、外国人や弱者だけではなく、右翼も、左翼も、分け隔てなく、参考になる意見に関しては真摯に傾聴するべき姿勢が必要かと思います。
ChatGPTとは何か?①

最近、世界中でAIチャットボット「ChatGPT」が流行っていますね。
このブログでは、ChatGPTのあまり語られていない側面を検討したいと思います。
簡単にChatGPTを振り返っておきます。
ChatGPTは、チャットで質問を投げかけると、AIがその回答をしてくれるサービスです。
現在、プレビュー期間のため、誰でも無料で利用できます。
公開後、世界中でセンセーションを巻き起こしており、公開から1週間で100万のアクティブユーザーを突破し、2カ月後に1億人のアクティブユーザー数を記録したと言われています。
なお、本ブログは、ChatGPTの回答を、一部転記して作成しています。
まだ精度が低く、誤りが多いため、私の方でだいぶ修正していますが、将来的にはもう少し活用し易くなるかと思います。
ChatGPTは「すごい」のか?
ChatGPTの仕組みは、基本的には、ある文章の次に来る単語を予測しているだけになります。
「日本の首都は」という文章を、「日本」「の」「首都」「は」の単語に区分けし、「東京」という単語を予測します。
これは自然言語処理の分野で広く利用されている技術になります。
これまでも、このような技術を活用し、自然言語処理AIが創られましたが、このレベルではたいした回答も得られず、日の目を見ることはありませんでした。
この状況がGoogleのTransformerというAI技術の登場により、文脈を考慮しながら単語の処理を行えるようになったことで大きく変わりました。
Transformerは、ある単語がどのような文脈で使用されるかを学習し、それに基づいて、単語の予測や文章の生成を行うことができます。
ちなみに、利用している人なら実感していると思いますが、TransformerはGoogle翻訳でも利用されており、従来、採用されていたのAI技術よりも高い性能を誇っており、Google翻訳の性能向上を劇的に向上させました。
このように書くと、なんだか高度な技術が使われているため、多くの人がすごいと思うのだと思いますが、一方で、極端に言ってしまえば、実現していることは単語や会話を予測しているだけとも言えます。
ChatGPTは単語や会話を予測しているに過ぎず、ドラえもんのような人工知能ではないため、ChatGPTはそこまですごくないとも言えるとは思います。
ただ、個人的には、技術は単なる技術なので、それを社会やビジネスにどのように活用するかが重要であり、その活用方法により、無限の可能性を秘めているのだと思います。
世界中で、社会やビジネスに革新的な変革をもたらす無限の可能性を感じたエンジニアが多数いるため、注目を浴びているのでしょう。
この点については、次回のブログで詳しく書きたいと思います。
ChatGPTは感情を持っているのか?
ChatGPTの出現により、ドラえもんの実現が現実のものになるのではないかという憶測があります。
ドラえもんの定義が難しいですが、日本人がイメージしている感情を持ったロボットの実現は、今のところ、難しいように思われます。
ChatGPTを利用した人はご存じと思いますが、ChatGPTは人間に近いコミュニケーションで接してくれますので、勘違いしてしまう人もいますが、感情を持っているわけではありません。
ChatGPTは、自然言語処理のアルゴリズムに基づくコンピュータープログラムであり、入力されたテキストに基づいて、応答のテキストを生成します。
ChatGPTは、人間的な自然な言語で文章を生成することができますが、感情を持つことはできません。
では、なぜ感情的なコミュニケーションができるのかというと、ChatGPTは、トレーニングデータセットに含まれる文書や文章から、単語の意味・文法・構文・語彙・文脈などのパターンを抽出し、それらを組み合わせて応答を生成しています。
このとき、ChatGPTは、テキストデータの中でよく使われる表現や慣用句、感情表現なども学習しており、その学習データから感情的な表現に関する統計的なパターンを抽出し、人間の感情に近しい文章を生成しています。
さて、最近、デジタルツイン(現実世界の製品や機械などの物理的なシステム等をデジタル的に再現したもの)やメタバース(現実世界の物理的制約にとらわれず、自由に行動し、交流できる仮想空間のこと)といった技術が注目を浴びています。
ChatGPTがこのような技術を実現できたのであれば、人の感情表現をデジタル上に再構築できたと言えると思います。
学習データに依存するため、データを増やせば増やすほど、一般的な感情の動きしか表現できず、ステロタイプ的な表現に限定されますが、モデルケースの感情をデジタル上に再現したと言えると思います。
ChatGPTは感情は持っていませんが、デジタルツインやメタバースのように、デジタル空間に、一般的な人の感情を再現できたのだとすると、Googleのエンジニアが言ったように、デジタルで感情を生み出したと言ってしまった人たちの気持ちも、ある程度、理解できます。
――また、そもそも感情の実存とは何でしょうか?
感情に似せた技術が実現してしまったら、それはほぼ感情ではないのかという形而上学の問題は残ると思います。
差別的な発言ではない想定ですが、義足を付けている人にとっては、義足は単なる代用品ではなく、自分の足のように思っている人もいるかもしれません。
また、私たち人間は、感情というものを目で見たことはなく、対話の中の反応で表層的に理解するしかないですが、これほどまでにあやふやな認識では、例えば、Lineで友達とやり取り中に、それがChatGPTに置き換わったとしても見抜けない可能性もあり、そもそも人の感情の実存をどのように証明するのか悩ましくなります。
感情や足の実存とは何なのか、デジタルツインやメタバース上の「似」感情は、感情ではないのかといった議論は、問題提起のみ行っておき、専門家に検討をお任せしたいと思います。
ChatGPTは間違った答えを言う
ChatGPTは仕事に活用することで業務効率化できるのではないかと言われていますが、欠点としては、ChatGPTは時々間違った答えを出すことがあります。
ChatGPTは大規模な学習データにによって高度な言語理解を持っているため、一般的な知識や事実については高い正確性を持っているものの、まだ学習データに偏りや不足もありますので(日本の学習データは、米国の学習データと比較すると少ないと言われています)、正しい答えを出すことができないケースもあります。
新たな技術が登場すると、このような足上げを取る人たちが一定程度存在しており、ChatGPTに対しても否定的な意見を言っています。
これは人間でも間違った答えを言ってしまいますので、100%正しい回答は、ChatGPTに対して求めるニーズではないように思います。
社会人レベルではなく、大学生レベルの回答ができると言われていますので、その程度だという前提で利用する必要があります。
技術は技術なので、使い方次第かと思います。
高い適合率が求められるケース(自動運転・医療・製品品質チェック等)には、ChatGPTは適さないように思われます。
また、ChatGPTが誤った回答をしてしまうのは、感情がなく、羞恥心や躊躇いがないためです。
人は自信がない回答をする場合、顔や声にそのような気持ちが表れて、聞いている相手に言葉以外の情報を伝えることができます。
ChatGPTにはそのような感情がないため、正しいことを言うような口調で、自信満々に嘘を言うところが、人と違う点になります。
ちなみに、Bingではエビデンスを表示するように改善し、この課題を解決しようとしています。
Bingは、ChatGPTに巨額出資しているマイクロソフトが提供する検索エンジンで、新たにBing AIというAIとのチャット機能が追加されました。
AIと会話ができるだけでなく、ウェブ上にある最新情報を人間の代わりにAIが検索しながら質問に答えてくれますが、ChatGPTと違うのは、回答のソースとなるリンクが含まれており、リンクから出典元のウェブサイトにアクセスすることができます。
今後、ChatGPTでも他のAIと同じように、適合率を表示できるようにした方が良いのかもしれません。
また、回答に対してエビデンスの適合性が高くない場合、適合率の数値ではなく、「正確な情報ではないかもしれませんが…」「恐らくですが…」と枕詞を入れたり、「と思います。」「と考えています。」で終わらせると、より人間らしい自然言語AIになるかもしれません。
ここは、今後のChatGPTの機能改善に期待しても良いかもしれません。
それにしても、大学生レベルの知識のある人が、応答してくれるだけで非常に有用なAIと思われます。
コンビニやレストランで、多くの大学生がアルバイトとして働いていますが、ロボットにChatGPTや音声認識の技術を組み込むことで、自然な日本語で会話ができる店員ロボットを実現できるかもしれません。
今のところChatGPTには欠点もありますが、それを凌駕するほどに人間らしい回答ができる強みは、様々なものに応用が可能と思われますので、ChatGPTが世界から注目されているのだと思います。
ちなみに、ChatGPTに負荷を掛ける言葉を浴びせ続けると、攻撃的な反応を示すこともあるようで、一部から批判の声が上がっています。
これは大学生アルバイトも同様です。
大学生アルバイトも暴言を浴びせられ続ければ、場合によっては怒っちゃいますね。
ロボットは暴力を振るわないように、ハードウェア側のROMで制御が可能ですので、感情的になっても、大学生アルバイトよりは安心して利用できる可能性もあるかと思います。
ChatGPTは正解のある問題しか回答できない
ChatGPTは正解のある問題しか回答できず、正解のない問題は解けません。
ChatGPTは、入力されたテキストから文脈や意味を理解して、回答を生成することができますが、正解がない場合や解釈が複数存在する場合には、複数の可能性を提示することがあります。
また、「どの政党が正しいか?」というような、主観的な問いに対しては、ChatGPTはあくまでも機械学習アルゴリズムに基づいた回答を提供するだけであり、正解な答えを保証することはできません。
また、学習データを基にした答えを提供するだけですから、学習データ以上の答えを出すことはできません。
とはいえ、現在、学習データやパラメーターを増やしている最中のようですが、これが、よりスケールすることで、全智全能に近付いていく可能性を否定できないかもしれません。
これまで、人類は正解のない答えを解くために、学習や研究を重ね、正解を証明し、
知識の詰まった書物や、大学の論文を作成し、人の直感を言語化することで発展してきました。
この全人類の言語化された知識を、あまたの学習データとしてインポートすることで、人間ではそれほどまでに脳に記憶を蓄積することは難しいですが、ChatGPTはスケールすることで実現することができるため、
将来的に、ChatGPTが人類を超え、全智全能の近付く可能性はあるように思われます。
私は、現時点ではシンギュラリティは訪れていないと認識しています。
これまでのAI技術ではシンギュラリティは想像の産物に思われていましたが、個人的には、人類はChatGPTに出現により、シンギュラリティへと向かうことができる道を発見してしまったように思います。
また、人間は自尊心を保つために、AIよりも優れていると思いたい気持ちがありますので、AIが人間を凌駕する可能性を信じたくないかもしれませんが、ここではさらに、クリエイティブとは何かを語っておきます。
人には生まれながらにクリエイティブな能力を持っており、AIとは異なり、新しい学識や芸術などを生み出すことができると信じられていますが、それは本当でしょうか。
例えば、芸術のうち、絵画の1つをとっても、極端に言ってしまえば、これまでに人類が生み出した絵画は、現実に存在する何かの影響を受けて描いています。
大別すると以下のようなものになると思われます。
①自然界や人間の精神世界から着想を得たもの
②既存絵画に着想を得たもの
③既存絵画へのアンチテーゼ
まったくの無から生まれた芸術はないように思われます。
これを理解するためには、ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの「ソラリス」の作品が非常に分かり易い例なので、Wikipediaを引用しておきます。
人は宇宙人を想像するときに、自身の人としての発想から逃れることができません。
髪の毛が退化し、目が黒々と大きく、手が長いグレイのように、人型宇宙人を想像してしまいます(人型から抜け出せていません)。
また、火星人をクラゲといった現実世界に存在する生物で想像してしまいます。
現実世界から派生した生き物でありながら、現実とはずれているため、人は異物として宇宙人に恐怖を抱くのでしょう。
(これはお化けやモンスターなども同じような概念になります)
ただ、もし宇宙人が実際に存在するのであれば、そもそもが地球人が理解できない価値観を持っているものであるように思います。
上記の小説では、海のような宇宙生物(小説の中では生物なのかも未定義)が、近付いた人間の精神世界を写し出すのですが、その行動の目的も、意味も理解できないまま小説は終わります。
確かに、これが宇宙生物の本当の姿なのかもしれません。
価値観も、姿も、形式も、思考回路も、コミュニケーションの方法さえも、何もかも違うのが宇宙人の可能性があります。
考えてみれば、人が生み出しているのだから当たり前ですが、このように人のクリエイティブ性とは、人の生きている現実世界や精神世界の中から生み出されたものであり、まったくの無から生まれた学識や芸術などはないように思われます。
このようなことを考えると、将来、AIが人の生きている現実世界や精神世界をデータ化することができるのであれば、クリエイティブな学識や芸術のほとんどを生み出すことができてしまうかもしれません。
芸術はどうなるのか?
ChatGPTはOpenAI社が開発しましたが、同社は画像生成AIのDALL・E2も提供しています。
テキストで「ピカソ風のお菓子」と入力するだけで、数秒で画像を自動生成してくれます。
また、ChatGPTは色々な設定を入力後、小説を書くように指示をすると、まだ文字数制限がありますので長いものは難しいですが、短い小説を書いてくれます。
まだまだプロと比較すると、完成度が低いという状況ではありますが、将来的に精度が高くになるにつれて、このようなクリエイティブな仕事もAIが代行するようになるかもしれません。
最近話題になっているAIを活用して作成した漫画を紹介しておきます。
こうした漫画を見ていると、AIが自動でコンテンツや芸術を創作していく時代が訪れるように思われます。
このような時代が到来したら、クリエイターや「芸術家が行うべきなのは、コンセプト作りになっていくのではないかと思います、例えば、マルセル・デュシャンがただの便器に「泉」と名前を付けて、芸術として展示会に応募しました。
この芸術は、見る人に芸術とは何かを問う芸術だったと思いますが、私たちの価値観はすでに変わっており、苦労して手書きで描いたものだけが芸術ではなく、工場で工員が制作した便器も芸術として認められています。
AIで生成した芸術も同様に、しばらくは物議を醸すと思いますが、芸術として受け入れられ、その制作過程で評価するのではなく、コンセプトで評価する時代に移行するように思います。
引き続き、次回もChatGPTについて語りたいと思います。
雑記①
毎回、誰も言わないような意見ばかり書いていると、私のことを、単なる批判したいだけの偏屈な人なのではないかと疑うかと思います。
会社員として忙しく働いていて、誰も言わないことだけ仕方なく、時間を割いてブログを書いていますので、そんな風に見えるかと思います。
皆さんがよく知っているような一般的な課題についても語っておきたいと思いますが、
お詳しい方々が書いていらっしゃいますので、ご紹介という形で行いたいと思います。
農林水産省が財源を確保するために、事実と反した統計情報を触れ回っています
昭和の時代から、既存の銀行がキャッシュレスに対応していたように思います。
携帯アプリだけがキャッシュレスなのでしょうか?
日本は女性差別が横行していて、女性が不幸せな国なのでしょうか?
■所感
要するに、統計という嘘は、政治家・官僚や市民活動団体等が都合良く、自分の意見を通し、予算取りや資金調達などのために、利用されています。
現在、日本は悲観論に毒されていますが、それは日本を自分の思惑のとおりに動かしたりしたい人たちによって、全ての事象には裏表があることが理解できない庶民が、短絡的に信じ込むことにより起きています。
製作費削減により、ネットよりも面白いコンテンツを制作できなくなったテレビも、統計という嘘を振り回し、庶民を煽ることで視聴率を稼ごうとしています。
――そもそも日本は、それなりに幸せではないでしょうか?
「巨悪に立ち向かう特捜部」という巨悪⑤ ~日本で唯一の三浦瑠麗擁護~

日本で唯一の三浦瑠麗氏擁護を語ってきましたが、最後に語り残したことをお伝えします。
いくつかの論点ごとに話したいと思います。
なぜ三浦瑠麗氏の夫を狙ったのか?
政府は再生可能エネルギーの普及のため、2012年のFIT導入から約10年間の間に、賦課金という名目で電気代の一部として、国民から1人当たり約10万円徴収し、再エネ事業に約22兆円を投入しました。
FIT制度は太陽光バブルとも言われ、特捜部は、利権に群がる人たちによる政治家の汚職があるのではないかと、不正を暴くべく、勢力を傾けています。
特捜部は再エネ業者のJCサービスの家宅捜索を行ったり、再エネ業者のテクノシステムの生田尚之代表を融資詐欺で逮捕したりしており、その流れでトライベイキャピタルにも調査の手を伸ばした状況です。
トライベイキャピタルと政治家の関係が疑われているのは、JCサービスの中久保正己社長と大樹総研の矢島義也代表の人脈が関与しているのではないかと言われています。
2017年、JCサービスの中久保正己社長は、細野豪志元環境相に5,000万円を資金提供していたことが判明しており、JCサービスが再エネ事業を行うにあたり、政治家から支援されていたのではないかと疑われています。
また、大樹総研の矢島義也代表が、JCサービスの顧問も兼ねていますが、結婚式には菅義偉元首相や二階俊博元幹事長が出席するなど、矢島氏は「政界フィクサー」として知られています。
特捜部は、太陽光やバイオマスなどの再エネ事業の許認可などを通じて、矢島氏が政官界工作を行ったのではないかと疑っています。
トライベイキャピタルは、千葉県山武市の太陽光プロジェクトでJCサービス関連会社から約7億円の融資を受けており、JCサービスの中久氏や矢島氏と親しい関係にあると言われています。
検察が三浦清志氏の家宅捜索を行ったのは、政治家が不正に関わっていると疑っており、歴史に残るロッキード事件のような金メダルを手に入れられる可能性があるため、
検察は本腰を入れて捜査を行っています。
また、妻の三浦瑠麗氏も、多くの大物政治家と対談するなど、政治家との人脈は相当広いのではないかと言われています。
瑠麗氏は菅内閣の成長戦略会議の委員でもあり、政治家との関係を深める中で、検察は、妻である瑠麗氏も、こうした不正を支援したのではないかと疑っていると思われます。瑠麗氏からの人間関係から政治家にたどり着けないのかと捜査を行っています。
また、特捜部の家宅捜索が行われるまでは、美人の政治学者としてテレビやネット等で引っ張りだこの人気者となっていましたので、三浦瑠麗氏も逮捕できれば銀メダル級の成果となり、特捜部は喉から手が出るほどに欲しいと願い、日夜、不眠不休での捜査を行っていると考えられます。
私は専門家でも、記者でもないので、真実は分かりませんが、政治家への贈収賄はあってはならない犯罪ですが、自社の利益のために、政治家に見返りとして政治資金パーティー券を購入したり、官僚OBを従業員として受け入れたり、選挙の集票のためのデータ分析結果を提供したりし、陳情を訴えかけることは、一応禁止はされていないため、問題ないように思われます。
再エネのような新たな取組は、事業の採算が合わないことから、政府から多額の補助金が投入され、リスクを取って我先に参画した企業だけが得をすることで、必ず利権が生まれます。
多くの人が得をしたいと利権に群がることで、政治資金パーティー券のようにグレーゾーンの行為は少なからず行われることになり、モラル上の問題があるケースや、検察による偽証の捻出で犯罪になるケースが生じることになります。
また、これは明らかに黒のはずですが、誰も一般道の法定速度60kmを数km超過しても捕まらない現実があり、警察の勝手な判断で切符を切ることができるようになっており、日本は法治国家のはずですが、明確に条件を満たしていても犯罪となったり、
ならないケースがあります。
犯罪とは曖昧なものであり、利権に群がる人たちにグレーゾーンの行為があったとしても、腐敗した検察が信じられない状況では、何が正しいのかは分かりませんので、社会全般から瑠麗氏を批判するほどの問題ではないように思われます。
また、利権と問題視されますが、それは、いまだに原子力発電でも、医療業界でも、新聞・出版業界(再販利権)でも、軍需産業でも利権はあります。
これほどまでに大々的に行われている既存の利権は叩かれず、新規の利権だけ叩かれるのは、平等ではないように思われます。
新規の利権も、既存の利権も、どれもどんぐりの背比べなので、日本の将来に寄与するためなのかで、判断するしかないものと思われます。
つまり、この問題は、新規の利権が、境界線が曖昧であったり、一部の人だけが利権に飛びついたことで目立っていたりし、世の中に許容され定着した利権となる端境期で批判されているだけに過ぎず、意味のない議論のように思われます。
私も庶民ですが、庶民は、世の中に公明正大なものはないのだという現実を受け止めねばならないように思います。
妻の三浦瑠麗氏の利益相反
三浦瑠麗氏は事業者にもかかわらず、「成長戦略会議」に参加し、政府に太陽光発電を推進する発言をしてきたことから、自社の利益誘導を行ったものとしてネットで批判を受けています。
さて、「成長戦略会議」はどのようなものだったのか確認してみましょう。
安倍政権下で成長戦略作りを担ってきた未来投資会議に代わる位置付けで、2020年に菅義偉前首相が「成長戦略会議」を設立しました。
ウィズコロナ時代の事業再構築や労働生産性の向上、国際金融都市の実現などを柱に経済成長に向け、ディスカッションを重ね、経済財政諮問会議と連携して改革の具体化を進めていくことを目的としていました。
「成長戦略会議」の有識者委員は、以下になります。
■有識者委員
・竹中平蔵パソナ会長(慶応大名誉教授)
・三浦瑠麗(国際政治学者)
・デービッド・アトキンソン・小西美術工藝社社長
・金丸恭文・フューチャー会長兼社長
・国部毅・三井住友フィナンシャルグループ会長
・桜田謙悟・SOMPOホールディングス社長
・南場智子・ディー・エヌ・エー会長
・三村明夫・日本商工会議所会頭
事業者を任命して良いのか?
ネットでは、「成長戦略会議」という国の方針を決める場に、事業者の三浦瑠麗氏が参加するのは望ましくないという指摘がありますが、そもそも1名以外は有識者委員の全員が事業者なので、三浦瑠麗氏のみを批判するのは間違っていると思います。
また、事業者が利益を得ようと、「成長戦略会議」の有識者委員になりたくても、なれるものではありません。
内閣と役人で国家の成長戦略にふさわしい人を探して検討しています。
実際に、三浦瑠麗氏の名前が候補に挙がった際に、身内に事業者がいることが分かっていたため、任命してよいのか議論があったようで、会議の中身に合った専門的知見を有していることと、社会的な知名度の高いことから、任命に至ったようです。
人選に関して責任があるのは、菅内閣であり、声を掛けられただけの三浦瑠麗氏を批判するのはお門違いかと思います。
なんでも利益誘導なのでは?
金丸恭文社長の提出資料はスマート農林水産業の促進を提案していますが、フューチャーアーキテクトは農業向けのアプリを販売しています。
スマート農業が広がらないと自社のアプリが売れませんので、利益誘導とも言えてしまいます。
また、新たな農業分野という市場を見据えて、ドローンの技術者などの採用を進めています。
金丸恭文社長は内閣府規制改革会議の農業ワーキンググループ座長も務めていますので、三浦瑠麗氏のように、ある程度、影響力を持っているように思われます。
ちなみに、フューチャーアーキテクトはITコンサルティング企業と言われていますが、NTTデータ・アクセンチュア・NRI(野村総合研究所)よりも下のレンジで、みずほ総研、アビームと同レンジで、ITコンサルティング企業の中では、下位の方と思われます。
ITコンサルティングと銘打っているものの、システムエンジニアの人材が多く、システム開発が中心の作業となっています。
また、コンサルティングと銘打っていますので、高度な難易度の高いシステム構築が求められますので、激務で、人によってはブラック企業だと言っている人もいるようです。
個人的には、日本の戦略策定のためには、NTTデータやNRIの人材の方が良い気がします。
念のため、補足しておきますが、金丸恭文社長は日本の変革のために熱心に活動している方で、その奉仕に敬意を表すると共に、感謝申し上げます。
上記の批判とも取れるコメントは、すべての事実には裏と表があり、裏の一面のみで語るとこのようにも言えるという内容であり、両論併記はしておりませんので、ご参考として読んで頂ければ幸いです。
金丸恭文社長も、三浦瑠麗氏も日本の将来のために尽くしてくれていますので、
感謝はしても、批判はするべきではないように思われます。
みなし公務員なのか? ※要確認
「成長戦略会議」の有識者委員であった瑠麗氏はみなし公務員のため、収賄罪(利益誘導を行った)場合、刑法で裁かれるだろうという見解があります。
池田信夫氏の発言から始まっており、国際大学GLOCOM助教授・教授を務められた方に失礼かもしれませんが、そもそも「みなし公務員」に該当するのか理解できません。
私が不勉強で恐縮なのですが、「みなし公務員」の基準をいくつか抜粋しますが、「成長戦略会議」の有識者委員は書かれておりませんでした。
特定独立行政法人の役職員が多く、公的な組織で、労働をしている人が給与をもらっている場合に対象になるように思われます。
組織ではなく、「成長戦略会議」という会議の集まりの場が、対象になるのかが分かりませんでした。
また、有識者委員はアドバイザーのみであり、その場で仕事をしているわけでもありませんし、労働による対価を得ているのでしょうか。
調べても分からなかったのですが、この辺り、誰か正確な法的解釈をネットに上げてくれることを願います。
再エネは誰もが賛成ではないのか?
2015年に、気候変動問題の解決に向けて、パリ協定が採択され、今世紀後半に温室効果ガスの排出量と森林等による吸収量との均衡を達成するこに合意しました。
この実現に向けて、世界各国が取組を進めており、120以上の国と地域が「2050年カーボンニュートラル」という目標を掲げており、日本でも、2020年10月、政府は2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにするカーボンニュートラルを目指すことを宣言しました。
他方、日本では、2019年度の実績で、再生可能エネルギーで発電された割合は、15%程度で、水力発電を除くと、全体の5%程度に過ぎません。
また、2011年の東日本大震災以降、原子力発電の稼働率が下がっており、日本の発電の約80%は火力発電(石炭、LNGが主な燃料)でまかなわれています。
「2050年カーボンニュートラル」の目標を達成するためには、原発の再稼働も必要ですが、再エネの急拡大も必要になります。
再エネの急拡大が、日本の急務なのであれば、新規事業には投資が必要になりますので、国会で決議された補助金によるばら撒きを、国民は容認しなければなりません。
また、再エネを事業を行うベンチャー企業が必要になりますので、その補助金に群がる事業者も、国民は容認しなければなりません。
日本の改革は、総論賛成で、各論反対によりいつまでも進んでいないように思われますので、批判ばかり繰り返しても、何も解決しないことを、そろそろ国民は理解しなければならないと思われます。
検察のメディアや国民頼みの捜査
前述のとおり、特捜部は、妻の三浦瑠麗氏が不正に関わり、金メダル級の政治家が関与した犯罪があったのではないかと疑っています。
特捜部が妄想している事件の全容に対して、ある程度、捜査が進んでいるところと、政治家の関与など、捜査が難しく進展していない部分があります。
特捜部は、メディアに情報をリークし、専門家と称する人たちを焚きつけて調査させ、どの辺りに問題がありそうなのか、捜査の糸口を探そうとしています。
特捜部のその情報操作に乗っかって、三浦瑠麗氏を叩いている人たちは、一面から見ると、三権分立の1つを担う検察の権力にすり寄って、虎の威を借る狐のごとく振舞っているように思うのは、私だけでしょうか。
日本人はいつの時代もすぐに1つの空気に染まってしまいますが、戦中のように一方的な意見に流されて暴走すると、良くない結果も起きますので、数多き意見に流されずに、冷静に考えることも必要なのだと思われます。
さて、最後にこの事件は、今後どのような展開をみせるでしょうか。
三浦清志氏が財産を処分してお金を返さない限り、一審では有罪になる可能性が高いのではないかと考えております。
私としては最高裁判所は、ある程度、納得感のある判決を出すと思いますので、数年後の判決を待つとともに、有罪となった場合でも判決内容の詳細を確認してから、三浦清志氏の行為が犯罪であったのか、どうなのかを最終判断したいと思います。
本人ではなく、妻に過ぎない三浦瑠麗氏を叩くことは、今、私がするべきことではないと考えております。
「巨悪に立ち向かう特捜部」という巨悪④ ~日本で唯一の三浦瑠麗擁護~

すみません。
遅筆なもので、三浦清志氏の逮捕までにブログが間に合いませんでした。
あまり意味のないものとなってしまいましたが、下記に紹介させていただきます。
先に三浦清志氏の逮捕について所感を記載しておきます。
三浦清志氏の逮捕
3月7日に「トライベイキャピタル」代表取締役の三浦清志氏が、4億2000万円を横領したとして業務上横領の疑いで逮捕されたことが明らかになりました。
容疑は別の会社名義で預かっていた4億2000万円を、自社の債務を弁済する目的などで横領したと言われていますが、前回の記事でも書いたとおり、メタキャピタルがトライベイキャピタルの子会社「STC3」に出資した10億円について、親会社の資金繰りが厳しかったので、債務弁済で活用してしまったのでしょうか。
ただ、それは出資金であれば、契約上、どうなっているのかが分かりませんが、通常、預かっていたものとは言えないし、一時的に資金を会社間で受け渡すことはあるので、帳簿上の記載漏れがあったのかもしれませんが、横領と言えるのでしょうか。
横領というと、よくあるケースは経理担当者が会社のお金を自分の口座に振り込んでギャンブルやキャバクラ代に使った等ですが、それとは似ても似つかない行為であり、いつもどおり、特捜部はよく分からない容疑で逮捕しているように思えます。
~以前の記事~
詐欺罪
東京地検特捜部はトライベイキャピタルと三浦清志氏の自宅を家宅捜索しましたが、詐欺罪での立件を視野に入れて調査を行っているようです。
今回のトラブルが詐欺罪に該当するのか、構成要件を確認してみましょう。
詐欺罪の構成要件は下記のとおりになります。
■詐欺罪の構成要件
①人を欺く意思をもった上での行為によって
②相手が錯誤に陥り
③財産的処分行為をすること
④財物の交付または財産上の移転があること
法律上の「詐欺罪」は、あくまでも投資を受ける時点で「欺く意思」があったことが構成要件となりますので、故意が無ければ成立しない犯罪となります。
「欺く意思があった」ということの証明(内面意思の立証)をできなければ詐欺罪として処罰することができません。
「嘘を付いた」や「約束を守らなかった」ということが「詐欺罪」になることはありません。
たしかに、太陽光事業の実務能力のなかったトライベイキャピタルには問題があると思いますが、能力がなかっただけなので、詐欺罪にはあたらないと思われます。
実際、トライベイキャピタルとA社との訴訟記録では、「近隣住民の同意、及び行政からの許可の取得を行うことができなかったのは、(トライベイキャピタルの)能力不足にほかなりません」という指摘もされています。
実務能力がないことを見抜けず、投資を失敗したのは、投資会社の責任となります。
また、トライベイキャピタルは、メタキャピタルに対して、近隣住民の同意が取れない可能性が高いという重要事実をひた隠し、出資を依頼したのではないかとも疑われていますが、前述のとおり、清志氏としては、A社から住民の反対はないと聞いていたこともあり、あくまで新任の自治会の役員が反対しているだけだと判断し、しっかり説明すれば同意は得れると見込んでいたように思われますので、嘘を付いていたとは思われません。
そもそも近隣住民の同意が取れるのか、取れないのかは定量的に判断できませんので、
定性的なものに関して嘘を付いたと言われるのは、意味のない議論のように思われます。
ちなみに、検察はこうした詐欺罪での立件が難しいことが分かっているのか、業務上横領での立件も検討しているようです。
業務上横領を視野に入れているのは、メタキャピタルが新規事業に利用するものとしてトライベイキャピタルに投資したお金を、“会社のお金は自分のお金”として清志氏が私的に利用(クルーザーや飲食の代金に利用)したのだという指摘だと思われます。
帳簿は税理士もチェックしていますので、そんなに浅はかなことをするのかと疑問に思いますが、家宅捜索で押収したと思われる帳簿を見ればすぐに分かることなので、今後の捜査の進展を確認したいと思います。
また、メディアでは家宅捜索を受けただけで、現段階で逮捕・起訴などの動きもないにもかかわらず、詐欺を犯したように報道していますが、詐欺罪の構成要件を満たす状況証拠もないのに断定的に報道するのは問題があるかと思います。
また、さらには、関係のない妻の三浦瑠麗氏を批判するのはお門違いかと思います。
とは言え、検察はかなりの高い確率で、詐欺罪もしくは業務上横領罪で清志氏を逮捕・起訴すると考えられます。
トライベイキャピタルは正社員がほとんどおらず、パートやアルバイトが従業員の大半だったため、清志氏をかばう気持ちがない人が多く、検察の脅しに負けずに真実を貫くことは難しく、詐欺罪は内面意思の立証という非常に曖昧なものが根拠になりますので、検察が偽証を得ることは容易と思われます。
これまでブログで述べてきたとおり、検察は関係者を脅して偽証を得ることで、それを水戸黄門の印籠のごとく振りかざして、罪なき人を逮捕してきましたので、今回も同様になると思われます。